アメリカ覇権衰退の14の段階:50年にわたる米・イラン対立の遍歴
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過去50年間の歴史的情勢を振り返ると、米国が1979年のイスラム革命前のイランを「安定の島」と呼んでいた時代から、今日では米軍司令官らがイランのミサイル・無人機能力を戦略的脅威とみなすまでに至っていることが分かります。これは、イランがアメリカのハードパワー(戦闘機材)とソフトパワー(心理戦やサイバー能力など)のバランスを何度も崩してきた道筋でもあります。
(last modified 2026-02-03T11:57:21+00:00 )
2月 03, 2026 20:51 Asia/Tokyo
  • イランがアメリカに打撃を与えた歴史に残る14の名場面
    イランがアメリカに打撃を与えた歴史に残る14の名場面

過去50年間の歴史的情勢を振り返ると、米国が1979年のイスラム革命前のイランを「安定の島」と呼んでいた時代から、今日では米軍司令官らがイランのミサイル・無人機能力を戦略的脅威とみなすまでに至っていることが分かります。これは、イランがアメリカのハードパワー(戦闘機材)とソフトパワー(心理戦やサイバー能力など)のバランスを何度も崩してきた道筋でもあります。

旧パフラヴィー政権末期から現在に至るまでの政治、軍事、安全保障上の出来事を振り返ると、イランと米国の力関係の変遷が明確に浮かび上がってきます。米国は数十年にわたり、西アジアで自らの思惑とする秩序体制の主要な支柱の1つとしてイランを位置付けてきましたが、イスラム革命の勝利後は相次ぐ敗北と挫折に直面し、そのたびにこの世界的な大国の覇権は揺らぎ始めることとなりました。【ParsTodayイラン国際 】この記事では、50年間にわたるアメリカとイランの対立の様相を深掘りしていきます。

1) パフラヴィー王朝政権の崩壊

最初で最大の打撃は、米国が地域の治安部隊とみなしていた政権の崩壊でした。退位したイラン国王(シャー)「モハンマド・レザー・パフラヴィー」に対するアメリカの全面的な支援も、最後の日々にハイザー将軍を派遣したにもかかわらず、イスラム革命の勝利を阻止することはできず、地域におけるアメリカの最も重要な戦略的拠点が失われることとなりました。

退位したパフレヴィ―・イラン国王(左)と当時のアメリカ大統領ジミー・カーター氏

2) 「スパイの巣窟」(在テヘラン米国大使館)の占拠

「スパイの巣窟」こと在テヘラン米国大使館占拠および、スパイ文書が公開されたことで、アメリカの評判は大打撃を受けました。444日間にわたるアメリカ大使館職員人質事件は、当時のカーター米政権を前代未聞の危機に陥れ、イランイスラム共和国の建国者ホメイニー師の言葉を借りれば、「第2の革命」の口火を切ることとなりました。

3) イラン東部タバスにおけるイーグルクロー作戦の失敗

イラン東部・南ホラーサーン州のタバス砂漠における、アメリカの複雑な人質解放作戦は完全な失敗に終わりました。タバス砂漠の砂嵐により最新鋭の軍事装備が破壊されたため、この作戦はアメリカの無能ぶりの象徴となったのです。

4) ノジェクーデターの失敗

数か月後、外国の支援を受けてのテヘラン近郊ノジェ空軍基地クーデター計画が、実行前に阻止され未遂に終わりました。この出来事は、新生イラン・イスラム共和国の治安体制の強固さが驚異的なレベルであることを示しました。

5) 押し付けられた8年間の対イラク戦争における抵抗

1980年代の対イラク戦争は、米国とその同盟国による、かつてのイラク独裁者サッダームへの広範な支持から勃発し、イラン国民の歴史的な抵抗に繋がりました。この戦争において、イランの領土は一寸たりとも敵に占領されることはなく、軍事力によるイラン崩壊の計画は失敗に終わったのです。

6) 2009年の騒乱の鎮圧および、ビロード・クーデターの失敗

一部の国で効果を発揮したカラー革命のモデルは、イランでは失敗に終わりました。2009年12月30日、国民の参加によって、アメリカが支援するこの計画は頓挫しました。

7) アメリカの最新鋭無人機が捕獲

2011年のRQ-170無人機の強制着陸と無傷での捕獲、そして2019年のイランによるグローバルホークの撃墜は、地域における航空分野でのアメリカの優勢の終焉を象徴するものでした。

8) ISISプロジェクトの失敗

イスラム国を自称するテロ組織ISIS壊滅にイランが役割を果たしたこと、並びに新中東プロジェクトの失敗は、アメリカの代理戦争戦略を事実上粉砕した形となっています。

9) ペルシャ湾におけるアメリカ海兵隊員の逮捕

ペルシャ島近海でのアメリカ海兵隊員の逮捕は、ペルシャ湾における勢力均衡の変化を象徴的に示すものでした。

ペルシャ湾で拿捕・拘束されたアメリカ海兵隊員ら

10) イラク西部アイン・アル=アサド基地へのミサイル攻撃

イランイスラム革命防衛隊ゴッツ部隊司令官だった故ソレイマーニー将軍の暗殺後、イランが在イラク米軍基地に直接ミサイル攻撃を仕掛けたことは、ここ数十年で前例のない出来事でした。

11) 12日間戦争とアル=ウデイド基地への攻撃

西アジアなどを管轄するCENTCOMアメリカ中央軍の中枢を担う、在カタール・アル=ウデイド基地への複合攻撃は、地域における米軍の軍事体制に戦略的な打撃を与えました。

12) 2022年の反乱の頓挫

2022年にはソフトパワーを含めた対イラン複合戦争という複雑な陰謀が企てられましたが、西側メディアの広範な支持にもかかわらず、実現には至りませんでした。

13) 海事面での能力と複数の石油タンカーの拿捕

アメリカのタンカーの拿捕と、公海におけるイラン艦隊の積極的な活動は、アメリカ海軍の一方的行動主義の終焉を証明した形となりました。

14) 2026年年1月の騒乱の鎮圧

イラン国内の不安を煽ろうとした最後の試みも、国民と治安機関の警戒によって阻止され、国民と主権の絆が再び確立されました。

2026年1月の反乱の粉砕;騒乱終焉のきっかけに

14に及ぶこれらの歴史的通貨点は、イランに対するアメリカの力が徐々に低下してきたことを明確に示しています。この道筋は、イランが「積極的抵抗」戦略に依拠し、世界で最も一触即発な地域の1つにおいてアメリカの覇権的方程式に挑戦してきたことを物語っているのです。

 

 


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