8月 05, 2023 19:37 Asia/Tokyo
  • 広島からサルダシュトへ
    広島からサルダシュトへ

イラン北西部のサルダシュトは、イラクとの国境に位置する樫の森にかこまれた小さな街ですが、そこにはヒロシマ通りと呼ばれる場所があります。この場所を、日本からの客人たちが訪れました。

客人の一人で、イラン・イラク戦争中化学兵器攻撃を受けた被害者の支援活動などを続ける日本のNPO「モースト」の津谷静子理事長は、イラクのかつての独裁者・サッダームとその支援者らがサルダシュトの人々に対して行った、残虐な行為について語るためにここを訪れました。

サッダーム率いるイラクはイラン暦1366年ティール月7日(西暦1987年6月28日)、サルダシュト化学爆弾で攻撃しました。

この日の爆撃で、サルダシュトでは100人以上の民間人が死亡し、さらに多くの人々が負傷しました。現在、このイラクの攻撃から36年の歳月が流れましたが、生き残った人々は今でも、この化学爆弾で受けた後遺症に苦しめられています。

モーストは、世界にいる化学兵器核兵器の被害者を支援することを目的に、津谷さんが立ち上げました。

津谷さんは、広島長崎原爆被害者の声は世界に広く届けられいるものの、サルダシュトの犯罪の被害者についてなぜこれだけ語られずにいるのか、非常に驚いたと語っています。

サルダシュト市広島市との間には、姉妹都市提携が結ばれおり、大量破壊兵器の被害を受けた都市としての両市の交流は、平和を生み出す一助となっています。

サルダシュトに住むクルド民族の女性・チーマンさんは、化学爆弾の攻撃を受けた当時はまだ乳幼児でした。彼女は現在36歳となり、結婚もしていますが、代表的な化学兵器のひとつ・マスタードガスを吸い込んだことで肺に後遺症が残り、今も苦しめられています。薬剤師である津谷さんは、地元の広島でチーマンさんの治療を繰り返し試みています。

津谷さんはチーマンさんを広島の平和公園に案内した際、この公園にある「平和の灯」を見せて、「私たちはこの平和の灯を、世界から最後の1個の核兵器がなくなるまでは消さないようにしようと、1964年に建立しました」と説明しました。

全国12宗派からの「宗教の火」および、全国の工場地帯からの「産業の火」を火種とした平和の灯を見たチーマンさんは、津谷さんと同じように、この灯が永遠に消される日が訪れることを願っています。

 


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