書の花嫁・ペルシャ書道がかもし出す幻想の世界(音声)
(last modified Thu, 04 Aug 2016 12:30:56 GMT )
8月 04, 2016 21:30 Asia/Tokyo

ペルシャ書道の特徴や歴史などについて、角田ひさ子先生のお話を交えながら説明します。

イランと日本は、それぞれアジアの両極端に位置し、地理的には遠く離れているものの、古くからシルクロードを通じて文化的な交流を行ってきました。その昔、イランは現在よりはるかに広大な領域に影響を及ぼし、イラン文化圏を形成していました。そのイラン文化には文学や詩歌、ミニアチュールと呼ばれる細密画、音楽、絨毯などの手工芸品など、様々な要素が含まれます。

 

最近、IRIBラジオ日本語はそうしたイラン文化の重要な要素ともいえるペルシャ書道を長年にわたり手がけ、現在日本のペルシャ書道の第1人者でいらっしゃる、角田ひさ子先生に直接お話をうかがうことができました。今回は、角田先生のインタビューを交えながら、ペルシャ書道の魅力についてお伝えすることにいたしましょう。

 

一般の日本人の方々には、日本から遠く離れたイスラムの国のイランに書道がある、ということすら、まだよく知られていないと思われます。ペルシャ書道は、日本人にとってはまさにエキゾチックな世界といってよいかも知れません。実際のペルシャ書道の作品を見ていると、本当にビジュアル的で、黒いリボンがひらひらと舞っているようで、とても美しく見えます。角田先生はまず、ペルシャ書道をはじめたきっかけについて、ご自身の経歴と関連させながら次のように語っています。

「大学で東洋史を勉強していましたので、ペルシア語を第2外国語として少し勉強しました。卒業してからも趣味で、中村公則先生という現代イラン文学を研究なさっている先生のお宅に週1で、8年ほどペルシア語の本を読む勉強を続けていました。先生がたまたま中学校の「美術の本」を見せてくださって、ペルシア書道のことが、まさしくその「ペルシア書道」で書いてありました。びっくりしました。日本や中国以外にも書道があるなんて思ってもみませんでした。それで私もやってみたいわなんて思いまして、真似て書いてみたのですがこれがなかなかうまくいきません。まず筆が「葦」を使うので、筆の創り方からわからないわけです。そこでイランの「書家協会」というところに手紙を出して2年くらいでしょうか、通信教育で教えてもらってからイランへ行ってじかに教えてもらったのがきっかけです

 

東アジアの書道の中心地の1つ・中国の書道家には、書聖とも評され、特に「蘭亭序」(らんていのじょ)などで名高い4世紀ごろの王羲之(おう・ぎし)をはじめ、6世紀から7世紀にかけての欧陽詢(おう・ようじゅん)や虞世南(ぐ・せいなん)などが挙げられます。また、日本では中国から伝来した書道や漢字をくずして出来たかな文字をもとに、今から1000年ほど前に特に貴族階級においてかな書道が発達しました。イランの書道家では、16世紀から17世紀にかけて素晴らしい作品を生み出した巨匠、ミール・エマードが特によく知られています。それでは、ペルシャ書道はどのようにして出現し、現在のような形になったのでしょうか。
角田先生は、ペルシャ書道の歴史や特徴について、次のように語ってくださいました。

 

「ペルシア書道は、もともとアラブ人の「アラビア書道」がもとになっています。ちょうど日本の「書道」と中国の「書道」の関係と似ています。日本語に中国の漢字が入ってきて、唐の書の真似から日本独自の「かな」の書が生まれました。現在の「ペルシア語の文字」は、アラビア語の「アラビア文字」を借用しそれに4文字が追加されています。このアラビア文字は、もともと神様の言葉を写す文字として「イスラム教」と共に発展してきました。その後、文字は色々改良され、たくさんの書体がつくられました。イランでも最初はこの「アラビア書体」で書いていましたが、13世紀ごろにイラン独自の書体がうまれて、現代の「ペルシア書道」につながっています。アラビア書体はどちらかというと直線的な力強い線で書きますが、このイラン独自の書体は、ちょうど日本の「かな書体」のような印象をうけます。とても清楚で優しく優美な書体です

 

 

先生のお話をうかがっていますと、ペルシャ書道の優雅さや美しさが実感として伝わってきます。ペルシャ書道は、宗教に関する言葉を書き表す手段としてのアラビア書道をもとに発達しました。また、ペルシャ語自体が「東洋のイタリア語」或いは、「東洋のフランス語」と称されるほど美しい言語とされ、そのペルシャ語を美しい字体で書き表すペルシャ書道は、「書の花嫁」とも言われています。それでは、そうしたペルシア書道と日本書道の共通点はどんなところにあるのでしょうか?この点について、角田先生は次のように説明してくださいました。

 

「道具に関しては、「筆」はまったく違います。イランでは「葦」ペンを使います。日本では「葦」が手に入らないので、竹も使っています。筆の先の方を斜めに鋭くカットするので、日本の毛筆のようにふわふわ柔らかくはありません。「墨」は、日本と同じように墨汁や固形の墨が使われています。でも「紙」は異なります。筆の先が固いので、和紙のような、けばだった紙は使えません。つるつるした紙に書いています。書体に関しては、日本の楷書や草書のように、現代のペルシア書道でも色々な書体が使われています。コーランや宗教的な文章は、「アラビー」とよばれている「アラビア書体」が主に使われています。イラン人は詩がとても好きな国民ですが、その詩を書く時には、ペルシア書体の楷書にあたる「ナスタリーグ書体」で書いています。草書にあたる書体もあります

 

角田先生のお話によりますと、ペルシャ書道にも日本の書道の永字八法に似たような正式な書法があり、書としての美を追求する上での点画の太さや比率などが定められている、ということです。また、ペルシャ書道はいわゆる書道の作品として鑑賞するほかにも、特にイランではモスクの壁や入り口などによく利用されています。このような優美なペルシャ書道に長年携わってこられ、現在も日本でペルシャ書道の普及に努めておられる角田先生に、現在のご活動の内容と今後の活動のご予定についてお聞きしました。

 

「イランにも書道があるの?」と聞かれるほど、まだまだ日本人にはなじみが薄いので、2006年くらいからでしょうか、毎年、ワークショップや展示会に参加して、実際に日本人の方に見てもらっています。今年は3月16日~20日に東京の東中野のパオギャラリーというところで、ペルシア書道クラスの生徒さんたちみんなと(全部で20名くらい、みなさん日本人ですが)、小さい展示会を開きました。クラスで教材として取り上げた「オマルハイヤーム」の詩や「ライラとマジュヌーン」という古典詩の物語から抜き出した詩を生徒さんに書で書いて作品にしてもらいました。これからもペルシア書道を介して少しでもイラン文化を日本のみなさんに紹介できればいいなと思っています

 

コンピューターやインターネット、ソーシャルネットワークなどのハイテク技術が急速に普及した現在では、書道芸術を有するイランや日本のみならず、世界的な傾向として筆やペンで文字を書くという作業が日々少なくなってきているのではないでしょうか。そうした中で、肉筆による書道芸術は今後益々独自の立場を維持し、これまで以上に珍重されていくものと思われます。また、激動の中東情勢のさなかにあるイランといえば、よく知らない、怖いといったイメージが先行してしまうようですが、そのイランには悠久の歴史やシルクロード、多様な気候風土に培われた豊かな文化が存在します。最後に、角田先生は日本人の皆様へのメッセージとして、次のように語っています。

 

「日本におりますと、大きな事件が起きた時にニュースになるので、中東、イラン、イスラムの言葉を聞くと、怖いイメージがあると思います。でも、イランに行かれる前は怖いとか危険だとかマイナスイメージで行かれた方も、日本にお帰りになってからは、みなさんイランのファンになる方が多いようです。百聞は一見にしかず。ぜひイランへ旅行なさって、ご自分の目と耳でイランを体験なさってはいかがでしょうか

 

「書の花嫁」とも言われるペルシャ書道の幻想の世界はいかがでしたでしょうか。今後も、イランの豊かな文化に関するホットな話題を随時お届けする予定です。

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