イスラム革命と共に歩んだ38年(1)【音声】
1979年のイランイスラム革命の勝利は、独立、覇権主義体制からの解放、科学的な進展と発展の点で、イラン史における転換点となってきました。 この番組では、イスラム革命の勝利から38年間でイランが遂げてきた発展についてみていくことにいたしましょう
イランイスラム革命は今年、38年目を迎えます。この革命はその初日から、覇権主義体制の反対や妨害に直面しました。イランイスラム革命は、イラン国民にとって全ての分野での大きな変化の開始となり、多くの恩恵をもたらしました。独立は革命の勝利とイスラム共和制の樹立により具現化された最大の変化でした。この独立はイラン国民に名誉と誇りをもたらし、独立を求める多くの国にインスピレーションを与えました。こうした独立は、スパイの巣窟であったアメリカ大使館が占拠された後のホメイニー師の演説の中に表れています。
「我々はアメリカやその他の超大国の圧力の下で、独立を失った国民だった。我々の自由は失われ、我々の財産は消え去った。我々は自由を手にするために立ち上がった。独立を手にするために蜂起した」
イスラム革命は、およそ40年の歴史において多くの成果を手にしてきました。その筆頭には、外国への政治や文化面での依存を完全に断ち切ること、経済成長、人間としての責任を伴う自由、自負心、独立と公正の追求があります。イスラム革命はその勝利当初から、1980年代にはイランイラク戦争、その後も敵国による多くの軍事的、政治的な陰謀に直面しましたが、様々な側面において革命の安定と成長の中で多くの困難を乗り越えてきました。イランイスラム革命最高指導者のハーメネイー師は、1992年2月にこのように述べています。
「イスラム革命はイスラム教徒の間にイスラムのアイデンティティを復活させた。国民の目覚め、世界の闘争・革命勢力の中に喜びと希望を創出したこと、これらがイランイスラム革命の明らかな成果である。イスラム革命のもう一つの影響は、イスラム革命の敵を目覚めさせたことだ。アメリカを含む覇権主義国、人々に対する反動的な大国、侵略者、そして世界が自分たちに属し、弱小国を自らの意志や要求の下に置いている大国もまた、現在、イスラムとイスラム革命と対立する列に並んでいる」
覇権主義国は全力を尽くして、あらゆる可能性を用い、様々な分野で、イランイスラム革命の動きを停止、あるいは完全に管理しようとしました。しかしながら、指導者と共同体の賢明さと抵抗により、外国の全ての陰謀と侵略が退けられ、国内の問題を解決し、障害を除去し、脅迫を機会に変えることに成功しました。イスラム革命の勝利からずっと、イラン国民は前進し続けてきました。経済封鎖や8年間のイランイラク戦争の被害、制裁の行使にもかかわらず、イスラム共和制は学術的に高い地位に到達し、努力と自負によって、大きな成功を手にすることができました。
イランの国民は今年も、イランの政治・経済関係に新たな変化をもたらしたイスラム革命の勝利記念日を歓迎しています。この間、イランの核計画を口実にした西側の制裁が高まり、西側はイランを孤立させるために多くの努力を払ってきましたが、イラン国民は自らの道を続けることを疑わず、エネルギーにあふれ、自信を持って高らかに歩みを進めてきました。イランは多くの分野での制裁の圧力にもかかわらず、様々な分野で目覚しい発展を遂げてきました。これはアメリカの政治家ですらも認めていることです。ケリー前国務長官はこのように語っています。
「イランは制裁によって弱体化しなかった。これはイランが制裁の存在にもかかわらず、依然として自らの道を歩んでいるためだ。イランは制裁に対して試練を乗り越えた」
最高指導者のハーメネイー師はこのように語っています。
男性アナ
「ここ数年、イラン国民は多くの不足や圧力にもかかわらず、経済発展や持続的な発展にとって重要な科学や知識、新しい技術の獲得において前進してきた」
明らかに、経済的な圧力と制裁の二つが各国の発展を抑制している要因と見なされます。しかしイラン国民はこれにもかかわらず、将来に希望を持ち、イニシアチブと若い専門的な人材の独創性により、最も厳しい条件の中でも、石油や天然ガス、原子力産業、新エネルギー、医療など重要な分野で生産を止めることはありませんでした。石油、天然ガス、石油化学の分野では現在、イランとの協力はヨーロッパの多くの企業にとって魅力的なものであり、競争を伴うものとなっています。
ヨーロッパの大企業の使節団、ヨーロッパ・アジア諸国の実行部門の代表らが、テヘランでイランの関係者と会談し、様々な合意を締結しました。昨年10月3日のニュースをお聞きください。
「ドイツの経済大臣がテヘランで、銀行、産業、エネルギー、科学協力、自動車、石油化学の分野におけるイランとの10の協力合意覚書に署名しました」
多くの企業や投資家が、イランとの長期的な経済協力に目を向けており、イランの市場に復帰しようとしています。トタルやシェルといった大手の石油会社は幹部をテヘランに派遣し、BPやスタットオイル、ルクオイルなどもイランのエネルギー部門への参入の意向を示しました。ウォールストリートジャーナルなど経済新聞は、イランの制裁解除により、イランの経済は、外国投資を誘致し、成長を遂げることになるだろうと予想しました。イラン駐在の元スイス大使は次のように述べています。
「ヨーロッパの企業の多くが、イランの市場参入と投資に関心を持っている。イランは8000万人の人口を持つ大国であり、豊かな石油・天然ガス資源を有する。その中には運輸などインフラ部門で活動するヨーロッパの企業にとって、多くの機会が存在する。イランは医薬品や食料など様々な点から魅力的な市場を有している」
世界銀行は2016年の世界経済の展望について報告の中で、原油価格の低下にもかかわらず、2016年から18年の地域の経済成長は5%上昇するだろうと発表しました。世界銀行は、この成長の基盤はイランにおける経済の目覚しい改善だとし、イランは地域最大の開発途上の経済大国だとしています。
イランの多くの業績が残された一方で、イスラム体制に反対する中でのイスラム革命の敵、アメリカの基本的な戦略の一つは、革命の動きを緩ませ、一部の問題を大きく見せることでした。しかしイラン国民は希望を失わず、疲弊することもありませんでした。イラン国民は独立と権力を安定させる段階を急速に進め、敵に希望を失わせ、彼らの計画を退けました。革命の業績について公正な分析をしてみると、イスラム革命は多くの目的において成功し、敵すらも認めているように、この体制はどの分野においても失敗することはなかったと言えるでしょう。イラン国民は世界に、1979年のイスラム革命は躍動的な革命であり、その価値は下がるどころか、時間がたつにつれてその影響力や恩恵は明らかになっているということを示しました。
イランの発展の道を妨害することが、アメリカやその同盟国の当初からの目的でした。経済制裁もイスラム体制が樹立されたときから、イランへの圧力の手段として使用され、欧米による暴力的な一連の経済的措置の枠内で行使されていました。アメリカは全力を尽くして、石油制裁やイランの商品・外貨・投資市場において、経済構造を変化させ、人々の中に不満と失望感を生じさせようとしました。イラン問題の専門家はこのように記しています。
「イランに対する西側の経済的圧力は、この数年間、イランは重要な生産部門における基本的なニーズを満たすことはできない、ということを吹き込むことに集中してきたが、こうしたやり方は、実際にはほとんど功を奏さず、イランはインフラ部門で自給自足を達成すべく努力し、経済的な圧力に対して抵抗力をつけている」
現在も、アメリカの関係者は、「協議の机上には制裁から戦争まですべての選択肢がある」と述べています。
これは、イランに対する西側の穏やかな戦争を意味し、それによってイランが制裁に抵抗できないことを示そうとするものです。しかしながら、この方法はほとんど功を奏しませんでした。イランは、インフラ部門での自給自足に向けた努力により、経済的な圧力に対して抵抗力を持っていることを示しました。このため、不足を生じさせるという理論は事実上失敗し、イランの発展を阻止することを目的にした戦略に立ち向かいました。こうした戦略は最初の道よりも大きな危険をはらんでいます。アメリカのオンライン新聞、クリスチャンサイエンスモニターはこのように述べています。
「制裁や制限により、イランは更なる発展を遂げることになった。制裁はアメリカをはじめとする欧米諸国が追及していた結果に至らなかった。なぜなら制裁の強化によって、逆にイランが多くの分野で発展を遂げることになったからだ」
最高指導者のハーメネイー師は、様々な折りに触れ、何度となく、イラン国民とアメリカの衝突は継続すると表明しています。
ハーメネイー師は常に、大きな闘争に必要なものは、科学分野の国の発展に向けた全面的な動きと努力、抵抗であり、それが繁栄や勝利の下地を作る、と述べています。
真の独立を遂げることは、困難な闘いであり、多くの浮き沈みがあります。こうした闘いを乗り切れるのは、世界の大国の拡張主義に対して抵抗し、戦略的な技術の分野での依存を減らし、発展を手にすることで、独立を遂げている国だけです。イランイスラム革命は、独立を求めることは、栄誉を追求し自負心を持つことと同義であることを示したのです。