ヤズド、砂漠の花嫁
今回は、ヤズドという町について、詳しく話してまいりましょう。
最近、歴史的な都市ヤズドが、イランの22番目の世界遺産として、ユネスコ世界遺産委員会に認められ、リストに加えられました。IRIB通信のヤズドからのリポートです。
ユネスコの公式サイトによれば、ヤズドは専門家から、砂漠の中心で、限られた可能性を十分に活用していることが示されていると認められています。カナートと呼ばれる地下水路、モスク、公衆浴場、バザール、伝統的な住まい、ゾロアスター教寺院、古い庭園、伝統的な区画は、砂漠地帯で限られた可能性が最大限に活用されている事実を物語るものです。
アゼルバイジャン共和国の大使は、ユネスコの会合の最初の演説者として、ヤズドの歴史的な特徴や、この町の文化的、社会的な存続について語り、この町の世界遺産登録を支持しました。クウェートの大使は、二人目のヤズド登録支持者で、この町の壮麗なレンガ造りの建物や歴史的な構造に触れ、この町が世界遺産に登録される必要があるとしました。トルコの大使も、ヤズドの文化的な特徴と、イスラム教徒、ゾロアスター教徒、キリスト教徒の平和的な共存に触れ、ヤズドは世界遺産となる条件を有しているとしました。この会合では、ベトナム、チュニジア、レバノンも、改めてヤズドの世界的な価値を強調し、最終的にユネスコ世界遺産委員会のメンバーの全会一致で、ヤズドが登録に至りました。
ユネスコのマリアナ・コリヤ審査官は、ヤズドの世界遺産登録に向けて旧市街区を査定するため、ヤズドを訪問した傍ら、この町の旧市街地の活気に触れ、次のように語っています。
「ヤズドの人々は、旧市街地を保護するためにチームで協力し、危機的な状況においても、その保護を忘れなかった。私がイランを訪問するのは4度目だが、毎回、イランの歴史遺産を堪能し、この国の精神的な遺産に感銘を受けている。ヤズドの人々も、この国の他の地域の人たちと同じようにもてなし上手であり、路地や広場、通りだけでなく、家の中でも、外国人の訪問者を歓迎してくれ、おいしい食事をごちそうしてくれる。ヤズドでは生活の質が非常に重視されており、危機の際の人々の役割は非常に重要なものだ。ヤズドの人々は、何年もの間、一つのチームのように行動し、文化遺産を守ってきた。文化遺産になりうるあらゆる場所の価値は、地理的な境界を越えて人類の遺産となり、世界的なものになったとき、人々を世界中から集め、遠い過去からの人類の遺産と見なされることにある」
ただいまお聞きいただいたのは、ユネスコのコリヤ審査官のヤズドを訪問した際の感想でした。コリヤ審査官は、カナートをヤズドにある最も美しい遺産だとし、次のように語りました。
「長靴を履いて、カナートの中に入り、それを実際に見て感じることは私にとって興味深い体験だった。カナートに入ると、数百年前に戻り、時代の中を旅しているような感覚を覚えた。この感覚こそは、世界的な価値を見出すべきものである」
コリヤ審査官は、ヤズドの建築の別の驚くべき点について次のように語っています。「ドウラトアーバード庭園では、数千年前から残り、力強さを失っていない類まれなる建築を見ることができた。この芸術は、過去から引き継がれてきた先人たちの技術を物語っている」
コリヤ審査官は、この他、世界でもヤズドでしか見られない特徴として、イスラム教徒とゾロアスター教徒の共存を挙げ、それを文化的な魅力のひとつだとしています。
コリヤ審査官は、ヤズドは人々の組織の町だとし、このように語っています。「ヤズドのような町はこのような形であるべきであり、人々の協力により、旧市街の生活が息づいている。ヤズドの人々は、観光客にどのように接したらよいかをよく理解しており、私は自分が帰国したとき、間違いなく、多くのことを人々に話すだろう。なぜなら、ヤズドの人々は観光客に特別な敬意を払うだけでなく、移民を心よく受け入れているからだ。興味深いのは、このような特徴により、ヤズドの犯罪率が非常に低いことである。これは私たちにとって非常に重要である」
ヤズドはなぜ、ユネスコの世界遺産に登録されたのでしょうか?
観光客によく利用されているロンリープラネットなどのガイドブックには、ヤズドについて次のように記されています。
「ヤズドは、天然のクーラーである風とり塔やレンガ造りの古い家など、独自の特徴を持ち、イランを旅行する際の魅力的な目的地のひとつである。この町は、北部の砂漠地帯と南部のルート平原によって分けられ、最古の人々の生活の魅力を有している。しかも、ここは、イランのゾロアスター教の発祥地である。この町には、古い砂漠地帯の都市と様々な宗教の共存による遺産があり、それが独特の雰囲気と平穏をこの町に与えている。木が生い茂った通りが広がっていることも、その秩序を乱してはおらず、その区画にうまく溶け込んでいる。この町は常に、繊維業の中心地として知られており、この町で生産される絹などは、マルコポーロがシルクロードを訪れる前から、世界に知られていた。と同時に、ヤズドは風とり塔でも有名である。風とり塔とは、背の高い建物で、この砂漠地帯に涼しい空気を取り込むために建てられている」
ヤズドは、イランの熱い砂漠地帯の真ん中にあり、時の経過の中でほとんど変化を受け入れず、今なお、伝統的で歴史的な雰囲気を醸し出しています。ヤズドはイランの中心部にあるヤズド州の州都です。この町は、山脈と平原の間にあります。一部の地理学者は、ヤズドは、サーサーン朝の王、ヤズドゲルドの時代に建設されたとしていますが、この町が繁栄したのは、14世紀以降のことでした。12世紀から14世紀にかけてこの町を支配した地方政権・アターバカーンヤズドが、この町の発展に大きく貢献したと考えられています。
ヤズドという言葉は、聖なる、あるいは清らかな、という意味で、神の町、聖なる土地とされています。この町には、歴史を通して唯一神を信仰する人々が暮らしていたことから、「崇拝の地」として知られています。ヤズドは、識字率の点でイランの上位に位置し、昨年は23年連続で、ヤズドがイランの大学合格率のトップとなりました。
この他、ヤズドは、風とり塔の町、砂漠の花嫁、自転車の町とも呼ばれています。7世紀半ばから、ヤズドは、中央アジアやインドを旅する隊商の重要な滞在地となっていました。このシルクロードの旅の中で、さまざまな繊維品やじゅうたんが他の国に運ばれていきました。マルコポーロは、ヤズドについて、非常に美しい独自の町であると同時に、大きな貿易の中心地でもあるとしています。
ヤズドは、チンギスハンやティムール朝の時代に完全に破壊されましたが、15世紀に繁栄の時代を迎えました。後に古い遺産の廃墟に建物が加えられましたが、ヤズドの独自の建築の特徴は、今もなお、観光客の目を惹きつけています。
ヤズドは、地球上で最も古い都市の一つです。ヤズドのほぼすべての歴史的な旧市街区の家屋が、日干し煉瓦でできています。
ジャーメモスクは、ヤズドの見どころの一つであり、その壮大さは、町の建築の中で十分に感じられます。この建物は12世紀に建てられました。このモスクの中庭には階段があり、カナートにつながっていると言われています。セイエド・ロクノッディーンの廟の青いドームは、町のどこからでも目にすることができます。また、かつては学校として使われていたアレキサンダーの牢獄も、ヤズドの見どころのひとつです。
バザールの中にあるアミールチャフマグという名前の建物は、ヤズドの歴史、宗教、芸術のすべての特徴の象徴だと言えます。ドウラトアーバード庭園は、一時期、ザンド朝のキャリームハーンの所有物となっていましたが、18世紀に建設されました。この庭園の風とり塔は、この町で最大規模とされています。
ヤズドは類まれなる都市であり、路地や建物に新しい発見を楽しむことができます。この町の通りには屋根があり、強い日差しを避けながら、歴史の中を散歩することができます。
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