世界の情勢:イラン国民に対するアメリカの敵意の理由
イスラム革命は1979年2月に勝利しました。イスラム革命は40年の間、紆余曲折を経てきました。イスラム革命勝利後の国際関係における、確固とした特徴のひとつを挙げるのであれば、それはアメリカの政府関係者の、イスラム革命に対する敵意でしょう。
アメリカのイランに対する40年間の敵意の理由を知るためには、アメリカの中東政策や国際政策における、イスラム革命以前のイランの地位に注目すべきでしょう。イランは革命以前、中東地域におけるNATO北大西洋条約機構の一環であり、中東でソ連に対する封じ込めを行うCENTO・中央条約機構の加盟国でした。このため、アメリカは戦略的にイランを手放すつもりは、まったくありませんでした。
第二次世界大戦後、アメリカは全力で、イランにおける影響力の基盤を固めようとしてきました。アメリカとイギリスは、1953年、イランの合法的なモサッデグ政権に対するクーデターを起こし、イランに民主主義が定着するプロセスを捻じ曲げました。このクーデターの後、アメリカ政府はイランのモハンマド・レザー・シャーを復権させることで、独裁政権が確立する下地を整えました。
アメリカは中東地域、とくにペルシャ湾地域において、イランに対して憲兵的な役割を担わせました。イランはペルシャ湾岸で、戦略的な地位や軍事力、富や人口といった要素を持ち、また比較的安定していたことから、ほかの地域諸国よりも優位な立場にありました。
アメリカのニクソン・ドクトリンにより、イランとサウジアラビアの政府は、アメリカの政策の2つの柱として、ペルシャ湾地域で権力の空白を埋め、監視を行う役割を担っていました。アメリカはイランとサウジアラビアに軍事的、経済的な支援を与えることで、これらの国々を地域全体の安全保障のための道具として利用し、一方で、自国は直接的な介入を必要としていませんでした。
この2つの主要な柱のうち、イランは第1の選択肢、サウジアラビアは第2の選択肢として、中東における西側の安全保障計画への資金援助先として注目されていました。1973年のオイルショックと、イランの石油収入の増加を受けて、ニクソン。ドクトリンの中で、イランはアメリカ製の武器の最大の輸入国となりました。アメリカはF14戦闘機をイランに引渡していましたが、どの同盟国にも、シオニスト政権イスラエルさえにも、それは引き渡されていませんでした。
アメリカは、イランを中東地域の安定した島としていました。
イスラム革命は、中東・西アジアの様相を変え、アメリカがイランから完全に手を引くことになった大きな出来事でした。
つまり、イスラム革命の勝利と、イランがアメリカの支配から解放されたことが、アメリカのイランのイスラム体制に対する敵意の主な理由です。イスラム革命後、中東地域におけるアメリカの影響力は減少しました。
アメリカの反戦メディア、バージニア・ディフェンダーのリーダー、フィル・ウィライトゥ氏はイスラム革命と、アメリカのイラン国民への敵意の根源について、次のように語りました。
「イランは革命前、アメリカの傀儡であるモハンマドレザー・パフラヴィーの支配下にあったが、この人物は西側の経済的資源の略奪と地政学的な搾取のために起用された。彼らはイランの石油資源を外国企業に採掘させ、搾取していた。また、イランのアメリカ大使館をスパイ活動を行うための拠点として利用していた。さらに、当時のアメリカのカーター大統領が語ったように、イランを荒れた海の中の静かな島と見ていた。」
アメリカは、半世紀以上の干渉と敵対により、イランに害をなしてきました。アメリカのオバマ前大統領は、ニューヨークタイムズのインタビューで、この歴史的事実について次のように認めました。
「もしイランの歴史に目を向ければ、現実はこうである。我々はイランで民主的に選ばれた体制を転覆する中で、関与を行った。我々は過去、イラクのサッダーム・フセインを支援した。それもサッダームが化学兵器をイランに対する戦争で使用していたのを知りながら彼を支援した。その結果、イランは安全保障上の懸念を抱いている」
アメリカの著名な思想家で言語学者のノーム・チョムスキー氏は、あるインタビューで、アメリカのイランに対する敵意の根源について説明し、この敵意の理由を皮肉交じりに次のように語りました。
「イランの罪状とは、アメリカが1953年の軍事クーデターで政権の座に据えた独裁者を打倒したことだ。このクーデターはイランの議会制度と、天然資源の国有化に対するこの国の考えを消し去った。起きた現象を単純に説明することが不可能なほど、世界は複雑だが、私見によれば、問題の根源はこの中にある」
チョムスキー氏は、アメリカのイランに対する敵意の理由は、イランがアメリカに対して屈するつもりがないことにあると考えています。また、アメリカのテレビ番組、デモクラシー・ナウのインタビューでも、次のように述べました。
「アメリカによれば、イランは大きな罪を犯した。イランの犯罪とは、アメリカの支持に従わないというものだ。書面では記されない、国際関係における基本的なドクトリンのひとつは、マフィア的なドクトリンだ。国際問題のほとんどはマフィアのような集団によって管理されている。アメリカは、いかなる不服従にも我慢がならない」
またイランがイスラム的価値を守っていることも、アメリカがイランのイスラム体制に敵意を抱く根本的な理由のひとつです。アメリカの著名な政治学者、サミュエル・ハンチントンは次のように語りました。
「人類社会における今後の大きな対立は、イスラム文化と西洋文化の衝突だ」
アメリカの著名な政治アナリストで、イスラム革命の勝利当時、アメリカの安全保障担当大統領補佐官だったズビグニュー・ブレジンスキー氏は、次のように語っています。
「シャーの廃位とホメイニー師を支持するイラン人の運動による、地域全土における真のイスラムの復活は、西側世界の存続に関わる地域で、我々の利益にとって永続的な脅威を生み出している。真のイスラムは、現在、既存の秩序と安定を脅かしている」
イランのイスラム革命による大きな恩恵のひとつは、独立への希求です。反イランで知られるアメリカのインダイク元国務次官補は、革命後のイランの独立要求に関して、次のように語っています。
「イランのイスラム革命に対する罰則とは、アメリカから独立し、解放される道を歩もうとする国に対する教訓だ」
世界中における自由を求める運動へのイスラム革命の影響や、イスラム革命が大国に対抗する上での模範となり、人々に専制主義を嫌悪する思想を吹き込んだことも、アメリカのイスラム革命に対する敵意の理由のひとつです。
アメリカの政府関係者や、イスラム革命の結果に関する戦略立案者が提示した懸念は、イランに対抗する上でそれを取り除く必要性が強調されたものの、現在、現実のものとなっています。イランは国内や地域で大きな成果を手にしています。どこの国も、イランの中東地域における安全保障上の役割を無視することはできません。
イランが世界や地域との協力において、影響力のある大国になるほど、アメリカのイランに対する敵意は増していきます。
アメリカのペンス副大統領は、パレスチナ被占領地を訪問する中で、はっきりと、「イラン国民がアメリカとの友好関係を望むのであれば、それは、イスラム体制を転覆した後にのみ可能だ」と語りました。
一方、イスラム革命の偉大な指導者ホメイニー師は、イラン・イラク戦争と冷戦のさなかにあり、世界でアメリカの力が頂点に達している中で、アメリカの脅威について、「アメリカはどんな悪さをすることもできない」と語りましたが、同様に、今、アメリカはイスラム革命以前よりも堅固になったイランに対して、何もすることができません。
また、現在、我々はアメリカがトランプ大統領の政策により孤立化し、覇権主義体制と戦う中での経験を得た、40年間の革命を損なうことができないでいるのを、まのあたりにしているのです。