来世の存在を信じる(音声)
復活、つまり来世の存在を信じることは、イスラム教の原則のひとつです。
人間は、死によって完全に消滅してしまうのでしょうか? それは、多くの人が考える事柄でしょう。イスラムでは、この世界の私たちの生活は、胎児の成長過程のように、一定の成長段階を経た後、より完全な環境へと移行するものだと考えています。イスラムは、死を人間の最後とは捉えていません。死によって、人間の現世との関係は絶たれますが、死は実際、現世での生と永遠の生をつなげる架け橋なのです。
至高なる神は、すべての僕たちを、死後、決められた日に再びよみがえらせます。そして、彼らの行いを清算します。死後、神の正義の御前で、人間の体に魂が戻されることを、「復活」と呼んでいます。
イスラムでは、人間は魂と肉体でできているとされています。人間の肉体は、物質的、物理的な特徴を持っています。つまり、体積や重さを持ち、寒さや暑さ、その他の要素の影響を受け、少しずつ活力を失い、いつの日か、消えてなくなるものです。それに対し、人間の魂、精神は、こうした肉体が持つ特徴を持っていません。その代わりに、知識、感情、愛情、憎しみ、恐怖、希望といった性質を持っており、心臓や脳といった肉体の器官を従わせています。そのため、イスラムでは、死は人間の消滅を意味するものではなく、魂が肉体から切り離される段階だと考えているのです。これにより、肉体が滅び、肉体を失った魂だけが生き続けます。
一方で、科学により、世界の物質やエネルギーは消滅しないことが分かっています。人間の存在の各部分は、たとえばらばらになったとしても、この世界に残り、もしかしたら、いつの日か再び集められることもあるかもしれません。これにより、人間の考え方や行いも、この世に留まる、ということを信じることができます。研究者らは、人間の行いだけでなく、その波動も消滅することはなく、この世に留まるとしています。
イスラムでは、人間のすべての活動や行いは、神の御前に記録され、人間は死後、それらのすべての詳細を目にすることになると考えられています。今日、技術の進歩とメディアの発展により、人間の死後にその行いが残り続けるという問題は、これまで以上に信憑性を持つようになっています。人間は、100年前の映像を目にすることができるのと同じように、自分の行いを復活の日に、確認することができるようになります。コーラン第99章ザルザラ章地震、第7節と8節で、神は次のように語っています。
「ほんのわずかでも、善を行った者は皆、それを目にし、ほんのわずかでも、悪を行った者は皆、それを目にする」
ではなぜ、最後の審判の日の存在が必要なのでしょうか?
復活を信じることは、人間の人生にさまざまな影響を及ぼします。すべてのものが、より高いレベルで永遠の生を受ける偉大な世界、死後の世界を受け入れることで、創造の目的を正しく解釈することができます。このような見方は、死を苦しいものと捉える考え方を変えます。復活を信じる人々は、特に、大きな目的の道に身を捧げようとする際、死を、より高い優れた世界への扉と捉えて歓迎します。一方で、復活を信じることは、人間の善い行いを促す環境を整え、良い考え方を溢れさせるためのきっかけとなります。復活を信じる心が強まれば、人間は、自分の行動に気をつけ、悪や罪から遠ざかろうとします。次回の番組では、復活と最後の審判についてお話しましょう。
それでは最後に、シーア派初代イマーム、アリーの言葉をご紹介し、今夜の番組を終えることにいたしましょう。イマームアリーは、次のように語っています。
「賢さとは、知っていることを口にし、それを実践することである」