ガドルの夜
今回は、ガドルの夜についてお話しましょう。
ラマザーンは、罪を悔い改め、神に立ち返る月です。人生の中で過ちを犯し、間違った道を選んできた人々にとって、ラマザーン月は、最良の機会です。なぜなら、この月の恩恵により、断食を行う人たちの中に、精神的な革命と内面の変化が起こるからです。
罪を悔い改めること、立ち返ることとは、物理的な点から、明らかな意味を持っています。つまり、人間がある道を進み、その後、その道を引き返すことを意味します。また、精神的な点からは別の意味を持っています。それは、罪を犯すことをやめ、神へと立ち返り、神に謝罪をすることです。
このことをさらによく理解するために、例を挙げてみましょう。自分の住む町から、北部にある町に行くとします。しかし、50キロも進んだところで、突然、目的地とは反対側の南側に向かっていることが分かります。それが分かったときにはきっと、すぐにブレーキを踏んで立ち止まることでしょう。しかし、50キロも誤った道を進んできてしまいました。それを取り戻すことはできるでしょうか?そのためにはまず、車をUターンさせて、その50キロを戻らなければなりません。この戻るという行為が、罪の悔悟にあたります。
ブレーキは、ラマザーン月に、後悔との言葉を口にすることで、神に許しを求めることにあたります。それによって、過ちをそれ以上、犯さないようにするのです。その過ちだけではありません。すべてのことについてです。その償いは、罪を悔い改めることによって果たされます。つまり、遅れた責務を実践するのです。すでに行ってしまった陰口の対象になった人にも許しを求めなければなりません。つまり、罪の悔悟とは、しばらくの間、行ったり持ってきたりした悪い行いや性質を、心の中の変化や革命によってきっぱりと捨て、それを償うことなのです。
罪の悔悟という恩恵、神による罪の悔悟の受け入れは、神の大きな慈悲を示すものです。シーア派4代目イマーム、サッジャードは、祈祷の中で、神にこのように語っています。
「神よ、私はあなたの許しを得るために来ました。あなたに許しを求めます。あなたの許しをぜひ、得たいと思っています。あなたの恩寵と慈悲を信じています。神よ、私はあなたに許してもらうための何かを持ってきてはおらず、行いの中にも、そのきっかけになるようなものを見出せません。私は自分自身を責めた後、あなたの恩恵と許し以外の道を見出せません」
神のラマザーン月の慈悲と恩恵が最高潮に達するのは、ガドルの夜です。神の注目と恩寵、そしてこの夜に定められた事柄、また、この夜に起こったこと、これから起こる事柄により、ガドルの夜は特別な偉大さと重要性を有しています。
この夜は非常に偉大であり、神はコーラン第97章ガドル章で次のように語っています。
「また、汝はガドルの夜が何かを知っているのか?」
神はガドルの夜を、1000の夜にも優るとし、この夜は始まりから夜明けまで、平安に満ちているとしています。
実際、神はガドルの夜をもたらすことで、信仰を持つ人間が善行を完成させ、その不足を補うための機会を整えています。ガドルの夜に人間が幸福に至るための秘訣は、さまざまな行いにあり、人間はそれを自分の意志で行います。
神はガドルの夜を祝福の夜と呼んでいます。天使たちが主の許しによって、それぞれの任務のために地上に降ります。明らかに、穢れから遠ざかった清らかな心であれば、天使たちが降りるための場所となりえます。シーア派6代目イマーム、サーデグは次のように語っています。
「この夜、つまりガドルの夜に、来年までに起こる様々な出来事、死や日々の糧が定められる。そのため、ガドルの夜に夜通し礼拝を行うがよい」
ガドルの夜は希望の夜です。人間は完全に希望を失ったとき、奈落の底へと突き落とされます。しかし、希望は人生を続けるための秘訣であり、人間は希望によって、発展と成長の道を歩むことができるのです。
人生の一時期を無為に過ごしたとしても、清らかで澄んだ泉に到達することへの希望を忘れてはなりません。ラマザーン月は、大きな機会です。人間の前に扉が開かれ、そこから生命と希望の光が差し込みます。ガドルの夜は、その希望の扉であり、ラマザーン月に訪れます。
僕と創造主である神とのつながりは、ラマザーン月の1日から始まり、ガドルの夜に最高潮に達します。この夜、人間と神の間には何の仲介も存在せず、僕たちは、何の障害もなく、神の光に照らされます。
ガドルの夜は、愛にあふれた神のもとへと戻る夜です。イスラムの預言者ムハンマドは、次のように語っています。
「預言者ムーサーは神にこう言った。『神よ、私はあなたに近づきたいと望んでいます』 すると神は、『私に近づくのは、ガドルの夜に起きている人間である』と言った。預言者ムーサーは言った。『神よ、私はあなたの慈悲を求めます』 すると神は言った。『私の慈悲は、ガドルの夜に貧しい人々に慈愛をかける人間のものである』 預言者ムーサーは言った。『神よ、私は来世で天国につながる地獄の上にかけられた橋を渡ることを求めます』 すると神は言った。『これは、ガドルの夜に施しをする人のものである』 預言者ムーサーが、『神よ、天国の果実と木を求めます』と言うと、神は、『これは、ガドルの夜の称賛を称える人々のものだ』と言った。また、預言者ムーサーが、『神よ、私は救いを求めます』と言うと、神は、『業火からの救済か』と尋ねた。預言者ムーサーがそうだと答えると、神は言った。『これは、ガドルの夜に赦しを求める人のものである』」
ガドルの夜は、行いを見直し、内面を見つめるための適切な機会です。明らかに、これを、1000の夜にも優る夜に行えば、その効果は大きなものになります。
ガドルの夜は、特に、人々にとって、我に帰り、自分はどこからやって来たのかを考える、残り少ない機会だと言えます。現世においては、どのような目的を持ち、最後にはどこに行くのでしょうか? このように深く考えることは、心にひらめきが起こり、真理の明るい道を歩むためのきっかけになります。
このため、伝承では、1時間の熟考の価値は、70年の礼拝行為よりも高いとされています。この夜、慈悲の源である神とつながることで、人生に新しい意味を見出すことができます。心を洗い流し、成長を遂げることができるようにするのです。ガドルの夜は、神の名と記憶で心を満たし、誘惑や迷いを捨てるためのときなのです。
ガドルの夜は、過ちを償い、神へと立ち返る機会です。
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