7月 31, 2016 15:53 Asia/Tokyo
  • 戦火の中のカシミール

カシミールのイスラム教徒は、およそ3週間前から、分離独立を支持するグループとの戦いを口実に弾圧を受けています。

ヨーロッパでわずかでもテロ活動があれば、世界のメディアはそれを即座に伝えますが、カシミール、ナイジェリア、バーレーン、その他のイスラム諸国で罪のないイスラム教徒が大量に殺害されても、人権団体ですら、反応を示すことはありません。

この3週間、カシミールから、痛ましい出来事に関する報道が届いています。インド軍は、これらの出来事について知らぬそぶりを見せていますが、時に伝えられる映像は、カシミールでの殺害を示しています。

インド人の若い警官に棍棒で殴られた白ひげの老人、50発以上の弾丸を顔面に受けて病院にいる少女、街頭に流れた血を洗う警官。インドの警察とカシミールのイスラム教徒による3週間前からの衝突により、50人以上が死亡、2000人近くが負傷しました。このような暴力や殺害に対するメディアの沈黙は、疑問を呼び起こすものです。

インドの警察とカシミールの人々の、今回の衝突のきっかけとなったのは、ヒズブル・ムジャヒディンのブルハン・ワニ司令官が殺害されたことです。ヒズブル・ムジャヒディンは、カシミールの独立を目指して活動しています。ワニ司令官は、裁判を受けることなくインドの警察の銃撃を受けて死亡しました。ワニ司令官が死亡した際の映像は、支持者の怒りを招きました。彼の埋葬式には、数万人が参列しました。この日、警察は、10人の抗議者を、銃や棍棒によって殺害しました。

ヒズブル・ムジャヒディンなどの独立を支持するグループの闘争の理由はともかく、インドの政府や警察による、抗議者への対応方法は、人道に反し、決して容認できるものではありません。イスラム教徒は、抗議のために市民としての手段を用いることが許されず、何十年もの間、差別と不公正に苦しんでいます。カシミールのイスラム教徒は、インドとパキスタンによる領有権の主張の間で何倍もの苦痛を強いられています。

カシミールは、地理的に、インドにとってもパキスタンにとっても優れた特徴を有しており、水資源に恵まれています。カシミールは、インド領とパキスタン領に分かれていますが、どちらの国も、カシミール全体の領有権を主張しています。そのため、パキスタンがインドから独立した1947年以来、この領有権問題は、両国の対立の主な原因となってきました。

インド亜大陸がインドとパキスタンの2つの国に分割されたとき、その地の多数派がイスラム教徒であればパキスタン領、ヒンドゥー教徒であればインド領というのが原則でした。カシミールも多数派、つまり住民の90%以上はイスラム教徒でした。しかし、イギリス人の裁判官は、カシミールに関してこの原則を守らなかったため、この地域で常に争いが続くことになったのです。

この他にも、カシミールの歴史において注目に値する出来事が起きました。イギリスは、1846年に締結されたアムリトサル条約により、カシミールを北インド・ジャンムーカシミール藩王国のグラーブ・シングに売却しました。グラーブ・シングは、イギリスの利益を保護し、この条約によって750万ルピーを支払い、カシミールを領有することになりました。このような領土の売却は、人道に反した契約と見なされます。グラーブ・シングは、後に、カシミールをインドの領土とすることでインドの議会と合意しましたが、パキスタンはこの決定を受け入れませんでした。このように、カシミールの人々は、この争いの中で、自分たちの将来の決定には全く関わることができませんでした。

現在のカシミールの出来事は、この地域の人々の痛ましい歴史とは切っても切り離せません。このイスラム教徒社会は、これまで、多くの暴力を強いられてきました。主にデモ隊に対する軍の攻撃で多くの人が死傷しましたが、これらのデモは、インド政府によるイスラム教徒の権利侵害に対して行われたものでした。

国際人権団体アムネスティ・インターナショナルは、最近、カシミールで、軍の攻撃による集団虐殺の犠牲者の墓が発見されたことを受け、インド政府に対し、早急に調査を行うよう求めました。スリナガルに本部を置く拉致された家族の団体の報告によれば、この集団墓地は、2006年以降のものだということですが、インド軍は、この墓に埋葬されているのは、外国の戦士や治安部隊の人間で、彼らの殺害は合法的に行われたものだったとしています。しかし、カシミールの18の村の住民の証言によれば、犠牲者の多くは、この地域の一般市民だったということです。

また、カシミールの情報筋の報告によれば、1989年以来、およそ8000人が、インド領のカシミールで、インドの警察との衝突の中で行方不明となっています。2006年、地元の警察が発表した報告は、取調べの際に331人が死亡したことを認めています。違法な殺害や民間人の拷問、拉致は、国際法や人権への明らかな違反です。

カシミールの抗議者は、インド政府には、この地域の人々の基本的な要求、自由や公正に向けた努力に応じるつもりがなく、インドの支配下にあるカシミールの社会の事実に目を瞑り、軍事的な手段によって、自分たちの政策をこの地域で行おうとしていると考えています。インド領カシミールの指導者たちは、こうした政策により、この地域の人々のインドに対する嫌悪や怒りを拡大させ、人々は自分たちの抗議を明らかにしている、と考えています。

インド政府も、最近の衝突の中で、人々の抗議を世界に知られないようにするため、この地域の通信手段を遮断し、インド領カシミールの新聞の発行を禁止することで、メディアの空間に厳しい制限を加えています。インド領カシミールの緊急事態宣言の継続、治安部隊への特別な権限の付与により、彼らはこの地域であらゆる犯罪に手を染めています。カシミールのさまざまな団体は、常に、若者や女性に対する暴行や殺害でインド軍を非難しています。人権団体は、カシミールの人々に対する軍の攻撃に関する報告の中で、住民の逮捕や拷問、処刑について明らかにしています。

インドの週刊誌、「「イラストレイテッド・ウィークリーオブインディア」のジャーナリストは、カシミールでのインド軍の行動について、衝撃的な報告を発表しています。

 

「インド政府が、カシミールの状況改善、法や秩序の保護、地域の人々のテロリストからの防衛を口実に派遣した軍隊は、実際、殺害者、侵略者、人々の財産の強奪者となっている。彼らは、罪のない民間人に、少しでも不審な点があれば、拷問を加えている。カシミールに派遣される軍隊は法を免れており、彼らを罪に問う者はなく、法律は彼らに対しカシミールの人々の殺害や侮辱を禁じていない。カシミールでは、軍服を着た人間は、この地域の人々の怒りの炎を煽っている。なぜなら、軍の野蛮な行動への不安が広がっておりり、カシミールの町や村ではどこでも、今日の文明社会では想像もつかないような暴行事件が見られているからだ。インド政府もまた、カシミールの人々に対する軍の侵略を、国内の問題、インド軍の公式な任務の枠内のものと見なしている。それどころか、カシミールのイスラム教徒を弾圧し、彼らを侮辱するためのインド軍による重要な措置、あるいは、イスラム教徒に恐れを抱かせるための有益な方法と捉えているかもしれない。罪のない人々に対する国家テロ、大規模な人権侵害を確認する目的で、カシミールを訪れたインドの団体の事務局長は、報告の中で、カシミールの民間人に対するインド軍の国家テロと残酷な犯罪に恥しさを感じるとしている」

 

現在、カシミールの虐げられたイスラム教徒の住民が、分離独立派との闘争を口実に、暴力に晒されてから3週間以上が経過します。ヨーロッパでは、わずかなテロ活動さえ、即座に世界的に報道され、しかもその実行犯が常にイスラム教徒によるものとして非難されますが、カシミール、ナイジェリア、バーレーン、その他のイスラム諸国で、何百人という罪のないイスラム教徒が殺害されても、人権団体は反応を示しません。近年のテロの犠牲者の80%がイスラム教徒でしたが、覇権主義国のメディアは、この事実が世界の人々に知られないようにし、イスラム恐怖症を広めようとしているのです。

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