サーサーン朝時代の服装(2)
今回も前回に引き続き、224年から651年までイランを統治したサーサーン朝時代の服装についてみていくことにいたしましょう。
地理、文化、社会的な立場、宗教、経済状況、その他、政治状況や商売が、さまざまな時代の民族の服装に影響を及ぼしてきました。サーサーン朝の人々は、パルティア王国時代より前のイランの文明と文化を改めるために多くの努力を行い、ある程度はそれに成功しました。この文明は、イランや世界の博物館に保管されているレリーフ、硬貨、銀の器などから伺うことができます。
衣服の縫製やデザイン、布の模様を注意深く見てみると、イランの偉大な文明の象徴が、その時代の衣服に現れていることが分かります。サーサーン朝時代の衣服の特徴は、主に、メディア王国やパルティア王国の時代にも見られたのと同じものですが、サーサーン朝時代の衣服は、装飾が多くなっています。宝石をちりばめた帽子、美しい模様の布、シャツの明らかな変化などが、芸術家の努力による偉大な文明を物語っています。
サーサーン朝時代の人々の衣服を示す最も古い絵画は、ペルセポリスの岩の壁に彫られたものです。ドイツの考古学者ヘルツフェルトによれば、この絵画は、アルデシール王の兄弟であるシャープールを示しており、農村出身の男性のようなズボンとシャツを身に着けています。この絵画からは、この頃はまだ、サーサーン朝は統治権を握っていなかったと結論付けることができます。この絵画は、サーサーン朝のアルデシールバーバカーン一族の最も古い服装のモデルを示しており、当時の大衆の間で最も広まっていたものでした。帽子も、現在の農村の人が被るフェルト製の帽子と似ており、そのデザインは、イラン各地の岩のレリーフに見られます。
イラン学者であったヘルツフェルトが挙げるもう一枚の絵は、バーバクの肖像で、ペルセポリスのアケメネス朝の宮殿の壁にかけられています。バーバクはより完全で貴族的な衣服を見につけています。上着を着ているのは、地位の高さを示しています。顔は横顔で、バーバクの衣服は、タフテジャムシードに刻まれた多くの絵画とは異なり、完全に正面からのものとなっています。彼が身につけているのは、ズボン、シャツ、美しいベルト、シャツよりも丈が長く、前が開いた上着で、その袖は狭くなっています。
イラン南部フィールーズアーバードのレリーフには、アルデシールが、ゾロアスター教の神アフラマズダから王冠を譲り受ける式典の模様が描かれています。アルデシールは、自分の右手で、権力のしるしである王冠をアフラマズダの頭から取ります。アフラマズダは、銃眼がある王冠を、アルデシールは丸い玉ののった帽子を被っています。このレリーフでは、アルデシールの息子たちと、その間にいる高貴な人物が、さまざまな帽子や髪型で示されています。この中では、サーサーン朝時代とアケメネス朝時代の芸術の結びつきが表れており、人物の顔は横顔ですが、体は正面を向いています。
この他、サーサーン朝時代の最古の岩のレリーフである、フィールーズアーバードのもうひとつのレリーフは、戦っている6人の姿を描いたものです。髪の毛や衣服、武器を注意深く見ると、彼らの地位が分かります。フィールーズアーバードのレリーフでは、石工職人が、当時の衣服を忠実に再現しようとしています。これらのレリーフのすべてにおいて、ズボンはパルティア王国時代よりも長く、すそが広くなっており、刺繍が施されています。このズボンは、今も、イラン中部カーシャーン近郊にある歴史的な村、アーブヤーネの住民とバフティヤール族の間に見られています。シャツのすそやマントも、刺繍が施されています。とはいえ、模倣は決して見られず、サーサーン朝の人々は、一度見たものから論理的な解釈を行い、イランで衣服や帽子とされるものに調和させていました。特に女性の衣服には、この傾向が顕著に見られます。
ターゲボスターンは、サーサーン朝時代の岩のレリーフ彫刻で、イラン西部ケルマーンシャーの北西部に位置しています。この遺跡は、紀元3世紀に建設され、歴史的、芸術的に高い価値を有しています。そこには、ホスローパルヴィーズ、アルデシール2世、シャープール2世と3世の戴冠の様子など、いくつかの歴史的な場面が彫刻されています。
ターゲボスターンに彫刻されたモチーフの研究により、馬に乗った人々は、幾何学模様の装飾があり、金の糸で織られたカラフルな服を身につけていたことが分かっています。狩猟の場面では、王は不死鳥が描かれた服を着ていました。舟のこぎ手の服装も描かれています。ターグボスターンの壁のレリーフには、王座に座った王の華やかな服や美しい花々が描かれています。同行者や象に乗った人々の服装も、鳥や植物などで装飾されています。
ターグボスターンの非常に重要なモチーフのひとつは、379年から383年のアルデシール2世の戴冠の模様です。アルデシールの特別な王冠の上からは、巻き毛の髪が見えています。彼の帽子は高価な金属で作られていますが、イランの帽子の独特のデザインを保持しています。彼の袖のあるチョッキは、腰のところで締められ、その上には、ひだのある薄手の布のズボンをはいています。このズボンはすそにいくにつれて細くなっており、そのズボンの上にはスカートをはいています。これは乗馬の際に楽に動けるようにするためだと考えられています。
サーサーン朝時代の布に関する最古の資料は、4世紀のシューシュの壁のレリーフです。そこから、馬に乗る人々が、幾何学模様の金糸で織られた色とりどりの服装をしていたことが分かります。この他、円や楕円形の中に、実在の、あるいは空想上の動物が描かれています。このようなデザインは、サーサーン朝時代の織物芸術とは決して切り離すことができず、イスラム初期にも、高価な布の多くに見られていました。
サーサーン朝時代の布のデザイン芸術は、イスラム期にも継続されました。とはいえ、多くの人の宗教、統治、社会的な行事の変化により、これらのデザインには新たな要素が加わりました。