8月 28, 2016 16:30 Asia/Tokyo
  • サーサーン朝の宮廷の人々の服装

今回は、サーサーン朝の宮廷の人々の服装についてお話しましょう。

サーサーン朝の宮廷の人々の服装については、多くの資料が残っています。これらの情報から、サーサーン朝の王たちの正式な服装は、様々な色の組み合わせによって互いを区別するものであったことが分かります。アルデシール1世の服は金色で、ズボンは青、王冠は緑でした。他の王たちの服装には、青、赤、緑が使われ、それらの多くには、金のふちどりが施されています。靴は赤で緑のボタンが付いており、ズボンは丈が長く、服の上にベルトが締められています。

 

イラン西部の古代遺跡ターゲボスターンのアルデシール2世とシャープール3世の石の彫刻に見られるように、4世紀末、皇帝の服装にはさまざまな変化が見られました。チュニックの端は両側でリボンや輪でしばられており、丸いエプロンのようなものを服の前につけています。一部の印章や硬貨から、この種の服装が、4世紀から6世紀の末にかけて流行していたことが分かります。サーサーン朝後に作られた器が、それが続いていたことを示しています。

 

兵士は金属のよろいを身に着けていました。とはいえ、これは時に、絹や羊毛で作られた衣服のこともあり、剣によってそれが傷つけられることはありませんでした。サーサーン朝時代が末期に近づくにつれ、華やかなものが好まれるようになりました。このような上着は、銀の器や金のクリスタルの器に描かれています。それはサーサーン朝末期のものとされています。

 

このような上着の例は、2世紀のパルティア王国時代のものが残っています。そのシンプルな種類のものは、シャープール1世の治世の初期にビーシャープールで見られましたが、華やかな種類のものは、サーサーン朝時代の末期にようやく現れました。銀の器の上には、王と王に仕える宮廷の人々が、そのような上着を身につけ、つまさきのとがった皮のブーツをはいている様子が描かれています。このような組み合わせは、これらの器と同じ時代の、ターゲボスターンにある狩猟の様子を描いた石のレリーフにも見られます。

 

 

サーサーン朝時代の象に乗った貴族は、まるい縁取りのある上着を着ており、このような縫製の組み合わせは、動物に乗る際の特別なスタイルだったようです。サーサーン朝末期からは、ターゲボスターンの狩猟の場面のレリーフが見られます。そこでは、当時の王と聖職者は、四角い帽子を被っています。王の帽子はシンプルなものか、あるいはガラス玉の装飾が施されており、細いリボンで結ばれています。この帽子は、パルティア王国の帽子とよく似ています。

 

王とその側近の貴族たちは、襟足の長い服を着ており、布片で飾られた皮のベルトを締めていました。これらの服は、サーサーン朝が崩壊する前の末期のイランの服装を研究する機会を整えています。

 

サーサーン朝時代の冬の服装は、絹か羊毛でできていました。レリーフにあるように、王の服装は、アフガニスタンの仏教遺跡バーミヤンやキジルの5世紀から7世紀の服装に非常によく似ています。

 

サーサーン朝時代の帽子は、岩や金属のレリーフから明らかなように、フェルト製のシンプルなもので、銅製の器のような形をしており、時に花の模様がついていたりします。この帽子の上には、大抵、羽などをつける場所があり、そのふちには、皮や鉄の板状のものや鎖がつけられています。

 

 

銀の皿や岩のレリーフから、サーサーン朝の人々は、多くが、体の半分を覆うショールを肩にかけていたことが分かります。このショールの両側は、大きな2つのボタンで留められていました。時に、ショールの両側をつなげるためにピンが使われ、そのピンの下にショールが集められることもありました。

 

サーサーン朝の最も裕福な王であったホスローパルヴィーズは、宝石を縫いこんだ衣服を身に着けており、真珠のネックレスなど、多くの装飾品を携帯していました。ベルトや剣を入れる鞘にも宝石が付いていました。

 

イスラムの歴史家の報告からも、サーサーン朝時代の服飾に関する情報を手に入れることができます。9世紀のイランの歴史家、タバリーは、同じ時代の作家の記述から、一部の王たちは、新しい服を1日以上、また一部の人々は1時間以上身に着けることはなかったとしています。とはいえ、何回か着れば擦り切れてしまうこともありました。アルデシール、ヤズドゲルド、アヌーシールヴァーンといった王たちは、2回洗った服を息子や近親者に与えていました。

 

王たちはまた、独自の香水を持っていました。一部の王は髪に花の油をつけ、ひとつの香水のみを使用し、その香水が完全になくなるまで、他の香りを使うことはありませんでした。また中には髪の毛を染め、バラ水で洗う王もいました。一部の歴史家は、ホルミズド4世の衣服について、宝石をちりばめた金の冠を被っていたとし、その宝石の輝きは見るものを魅了していたとしています。また彼のズボンは金と銀の糸による刺繍が施されていました。

 

歴史的な資料によれば、王に謁見しようとする者は、まず、口臭で王を苦しめないようにするため、白いターバンを袖の中から出し、自分の口の前を押さえていました。王も、手を清めるためのハンカチを持っており、汚れれば、それをきれいにするために火の中にくべていました。興味深いのは、そのハンカチが燃えなかったことです。どうやらこのハンカチは、石綿・アスベストでできていたようです。

 

金の指輪やベルトは、王から贈呈されたものでない限り、身につける権利は誰にもありませんでした。10世紀の歴史家、サアーリビーによれば、サーマーン朝の王、ホスローパルヴィーズに最高の衣服について尋ねたとき、彼は、春、夏、秋、冬のそれぞれの季節にふさわしい布を挙げました。これらの布は皆、当時の最高級品で、多くの人には手に入れることのできないものだったと言われています。