服装に関するイスラムの見解
前回の番組では、イスラムにおける服装への捉え方についてお話しました。これらは、コーランの節やイスラムの伝承から取られたもので、歴史を通して、イスラム教徒の服装を特徴づけたり、またイスラム教徒以外の人々に影響を与えたりしてきました。
イスラムでは、服装の問題に特別な注目が置かれており、節度を守った服装が強調されています。今回の番組では、服装に関するイスラムの見解について、さらに詳しくご紹介しましょう。
イスラムでは、節度を守った服装が、人間の本質にかなっていると考えられています。人間の本能は美しさを追い求め、美しいものを見て、美しいものに注目します。適切な服装を利用することの効果のひとつは、欠点を覆い隠すことです。適切な服装や装飾は、人々の心を真理へとひきつけます。つまり、衣服は、神への服従と義務の遂行のための手段なのです。
イスラム、特にコーランの節で服装の問題が特に注目されているのは、文化におけるこの問題の重要性を示しています。聖典コーランは、神の数限りない恩恵の中で、衣服が暑さや寒さから、また戦いの中で身を守る役割を果たしていることに触れ、コーラン第16章アン・ナフル章ミツバチ、第81節で次のように語っています。エ「神は創造したものの中から、あなた方のために衣服を作った。それはあなた方を暑さ(や寒さ)から守り、戦いにおいてあなた方を保護する役目を果たす」
衣服の縫製もまた、慈悲深い神の人間への教えのひとつで、それは預言者イドリースを通して教えられたと言われています。言い伝えによれば、預言者イドリースは、衣服を縫って作った最初の人物だということです。
イスラム以前のサウジアラビアでは、クライシュ族が、男性でも女性でも、初めてカアバ神殿の周りを周回する際には、聖域の服装を身につけるべきであり、それが手に入らない場合には、裸になるよう定めていました。コーランは、このような愚かな迷信や慣習を否定し、モスクの神聖を守る上での外見や服装の重要性を示すため、裸でいることを禁じ、全ての人に、モスクに行く際には身だしなみを整えるよう命じました。
またコーランは、家庭における男女の親密な関係を、互いの衣服であることになぞらえ、コーラン第33章アル・アハザーブ章部族同盟の中で、預言者の妻や娘たち、敬虔な女性たちにイスラム的な装い・へジャーブを命じると共に、それを、貞節な女性の要素として挙げています。
イスラムは、服装の全体像を示すと共に、詳細についても述べ、様々な民族の生活様式や慣習、文化、地理的な条件、気候、その他、社会生活に影響を及ぼす事柄を尊重しています。そのため、衣服のデザイン、色、質、その他の詳細の選択を、その社会の慣習に委ね、神の聖域を守ることで、その民族の文化に沿った服装を定めています。
イスラムではまた、服装に関して多くの表面的な習慣が定められ、それらを守ることによって、人間が怠惰から解放されるようにしています。また、服装を人生の目標とし、思想や人格に影響を及ぼし、それにとらわれるのではなく、気高い目標を実現し、成長するために利用できるようにしています。服装が、人間に高慢さや媚をもたらすようであれば、それは悪魔の手段、宗教の害悪となり、人々の心を判断する材料となります。また、イスラムでは、衣服は、至高なる神に対して人間が謙虚になる要素であり、衣服を用意する際に、華やかさを求めたり、過激な浪費主義や自己顕示に走ったりしてはなりません。
イスラムでは、人間の服装についてさまざまな勧告がなされています。たとえば、衣服において精神的な側面を考慮すること、節度を守った美しさを保つこと、清潔さを守ること、イスラム法を守ったデザインを身につけること、一種の不信心を示すような流行に走らないことなどです。この他、イスラムの偉人たちは、イスラム法にかなった喜びを表すために、多様で明るい色の衣服を身につけること、過剰な消費を防ぐことなどを勧告しています。神はコーラン第7章アル・アアラーフ章高壁、第26節で、人々に次のように語りかけています。エ「アーダムの子孫たちよ、我々はあなた方が醜さを覆い隠し、着飾ることができるような衣服を考慮した。それでもなお、敬虔さという服装は、あなた方の表面的な衣服に優る」
シーア派6代目イマーム、サーデグは、この節について次のように説明しています。「信仰を持つ人にとって、最も美しい衣服とは、神への信仰、敬虔さという服装である。また最も恩恵のある衣服は、信仰という服装である。この物質的な服装もまた、神による恩恵であり、それによって人間の醜さを覆い隠すことができる。服装は実際、神による恩恵であり、さまざまな生き物の中で、人間だけがそれを利用している。そのため、信仰のある人間は、表面的な服装を、精神的な目的を果たすための手段にし、最良の服装とは、人間を神から遠ざけることがなく、神への感謝や服従に近づけるものだと考える。衣服は、人間を高慢さや自己顕示、利己主義などへと導くものであってはならない。これらは皆、人間の心を頑なにする害悪である。そこで、衣服を身につける際には、慈悲によって罪を覆い隠す、神のことを思い起こすべきである」
衣服よりも重要なのは、それを身につける人間であり、その人の人格は、その人が身につける衣服の種類よりもずっと決定的なものです。とはいえ、人間は衣服の種類の重要性を忘れてはなりません。イスラムの預言者ムハンマドは、これについて次のように語っています。エ「宗教の兄弟の間で集まる際には、身だしなみを整えなさい。人々の中で清潔さにおいて際立つように。なぜなら神は、醜さを嫌われるからである」
預言者ムハンマドはまた、次のように語っています。エ「白い服は、あなた方にとってどの服装よりも好ましい。だからそれを身につけ、死んだ人をそれで包みなさい」
シーア派初代イマーム、アリーも、服装について次のように語っています。エ「木綿の服を身につけなさい。なぜならそれは、神の預言者と我々預言者一門の服装であるからだ」
イマームアリーは、ウール素材の衣服は病気のとき以外、身につけませんでした。とはいえこれは、コットン素材もウール素材も、適した場面で身につけるべきだということを意味しています。
シーア派2代目イマーム、ハサンは、礼拝を行うために朝起きると、いつも最高の衣服を身につけていたと言われています。なぜ最高の衣服を身につけるのかと尋ねられたとき、イマームハサンはこのように答えました。「神は美しく、美しいものを愛される。だから神のために自らを美しく見せるのだ」 イマームサーデグは、衣服の質と、最高の服を着るのに適切な場面について、次のように語っています。「リンネルは、預言者たちの服装である。金曜には着飾り、最も清潔な服を身につけなさい」
イスラムがイランに広まった最大の要素は、イスラムの思想がイランの文化に近かったことでしょう。そうした文化的な類似性の中でも、最も重要なもののひとつが、衣服の種類、特に女性たちの覆いだと言えるかもしれません。
歴史的な資料によれば、イランの女性たちは、イスラムが入る以前にも、四角いチャードルと呼ばれる布で体を覆っていました。多くの場合、明るい色が利用され、髪の毛を覆い隠すための布も利用されていました。服装に関するイスラムの教えがイランの文化に合致していたことから、この教えはイランの文化の中に広がり、民族の多様性を考慮しながら、イラン・イスラムの価値観に基づき、イラン全体に独自の美しい衣装が生まれました。現在も、クルド、ロル、トルキャマン、ギーラク、ラクといった民族の美しい民族衣装が存在し、それらは皆、イラン・イスラムの基準を守りながら、イランの衣服に多様性を与えています。次回の番組では、イスラム以降のイラン人の服装についてお話しする予定です。