12月 26, 2016 17:01 Asia/Tokyo

シリア北部のアレッポは12月13日、4年5ヶ月ぶりにテロリストの占領から解放されました。シリア第2の都市アレッポは2011年にテロ組織が活動を開始するまで、シリアの経済の中心地でした。アレッポはトルコ国境に近いことから、戦略的な地域となっています。

アレッポの解放はこの都市の人々や、シリア政府の支持者にとって喜ぶべき出来事でした。

しかし、アレッポの解放は、シリア反体制派の深い懸念と否定的な反応を引き起こしています。

アレッポは2012年7月から、東西に2分割されていました。西側はシリア政府が、東側はテロ組織がそれぞれ掌握していました。東側がテロ組織の占領から解放されたことで、現在アレッポ全域はシリア軍の管轄下にあります。

多くのメディアがアレッポ解放をアサド体制の最大の勝利で、シリア反体制派の大きな敗北だとしたほど、アレッポの解放は重要な出来事です。しかし、西側メディアの反応は興味深いものです。

ベテラン記者のロバート・フィスクは、イギリスの新聞インディペンデントで、次のように記しています。

「シリア反体制派を支援していたメディアは、アレッポの解放について、『反体制派からの奪還』という言葉ではなく、『シリア政府軍による陥落』という言葉を使った。しかし、中部パルミラについては『テロ組織ISISによる奪還』という言葉が使われた、一方で、『パルミラはテロ組織によって陥落した』というべきだった」

西側とアラブ諸国の政府関係者は、シリア軍とその同盟者のアレッポでの勝利に対して、否定的な反応を示しました。

国連のパン事務総長も、フランスの要請により、アレッポの解放からわずか1日後に行われた12月14日の国連安保理で、シリア反体制派に同調する声明を出し、「国連はアレッポの民間人が苦しんでいるという報告を受け取っており、各国はできる限りアレッポでの虐殺を止めるために尽力すべきだ」と語りました。

疑問とされるべきなのは、この否定的な反応が出される原因とは何なのか、ということです。なぜシリアの反体制派はアレッポの解放に対して明らかな形で懸念を示しているのでしょうか。シリア軍と同盟者によるアレッポの解放により、特にアメリカを始めとするシリアの反体制派は困惑した立場を示しています。

アレッポはシリアの最も重要な場所とみなされており、テロリストに対する戦争では、大きな重要性を有しています。アレッポはダマスカスから310キロの地点にあり、またトルコ国境からはわずか54キロの場所にあります。テロ組織は、トルコ国境を通じて武器の移送とテロリストの派遣を行っており、シリアの体制に反対する形で破壊活動を拡大しました。

経済的な点からは、2011年の情勢不安が始まるまで、アレッポはシリアの経済の中心地で、シリアの金融センターとみなされていました。シリアの輸出による収入の60%はアレッポでまかなわれており、このため、テロ組織もその支援者も、アレッポの町を特別視していました。つまり、この町の占領はシリア政府に対して経済的な圧迫を増したのです。

軍事的な点から言えば、アレッポの町にはシリアの重要な軍事的な施設や学校がありました。アレッポにはまた、武器の貯蔵庫もありました。さらに、アレッポはシリア国内にテロリストや武器が送られるルート上にありました。この町には南西部の基地や郊外の空軍基地、西の郊外にある複合訓練施設、東の郊外にある軍事技術アカデミーなど、いくつかの軍事施設が存在することが指摘できます。実際に、アレッポは海軍の訓練所を除いて、各種の軍事訓練施設が存在する場所なのです。

この重要性に注目すると、アレッポの解放は、シリア軍にとっても、反体制派にとっても、重要な結果なのです。一方、2013年の作戦で、レバノンや地中海からテロリストに武器を移送するルートは封鎖され、現在はアレッポの解放により、トルコ国境経由での、シリア国内における重要な武器移送ルートのひとつも封鎖されました。

一方で、シリア軍のアレッポでの勝利により、シリア軍はアレッポやダマスカス周辺地域の解放作戦、その後、北西部イドリブの解放作戦を行うことになるでしょう。アレッポの解放により、イドリブのテロ組織は大きな不足に見舞われています。シリア駐在のフォード元アメリカ大使は、アレッポの解放により、シリア軍は来年イドリブも解放するだろうとしています。

そのほか、アレッポの解放は、アサド大統領の印象のよさや合法性を高め、また、シリアの運営とテロ対策におけるアサド大統領の能力を受け入れたことを意味します。

つまり、アレッポの戦場で勝利したことにより、アサド大統領の退陣は提起されなくなりました。同時に、これ以前に反体制派が提案し、アレッポを第二のリビア・ベンガジとしていたシリアの分割も、失敗に終わりました。アレッポの勝利により、シリアの領土保全の可能性も高まっています。

アレッポの勝利はまた、イドリブの2つのシーア派イスラム教徒居住区によい影響を及ぼしました。この居住区はおよそ2年前からテロ組織の封鎖下にあり、この地区の人道的状況は大変危険なものになっています。

アレッポの解放の後、シリア政府は、テロ組織と、シリア軍に包囲されているテロリスト5000人を重火器を携帯させない形で解放することで合意しました。しかし、一方で、テロ組織もこのイドリブ近郊の2つの都市から病人や負傷者を避難させる許可を出しました。この提案は、テロ組織のアレッポでの立場が弱くなったことによって受け入れられました。このことも、シリア軍にとっては戦略的な勝利であり、これによってシリアの人々の軍に対する信頼が高まりました。

アレッポにおけるシリア軍の勝利の最も重要な結果のひとつは、シリア軍とその同盟勢力、そしてシリアの人々にもたらしたよい影響です。一方で、この戦略的な勝利はテロリストとその支持者に対してマイナスの影響をもたらしました。実際、シリア軍のアレッポの勝利とイラク北部モスルの解放作戦において、ある種の結びつきが生じました。この勝利はシリアとイラクの軍がテロリストを敗北させることができるという期待感を増すとともに、テロリスト間の対立を拡大し、イラクとシリアでテロ組織の終焉は近いという否定的な見方を拡大、強化することになります。

アレッポ解放は地域レベルでも、抵抗の中心の強化と、サウジアラビアの主導による連合軍の敗北を意味します。アラブ諸国のメディア、とりわけサウジアラビアとカタールのメディアは、アレッポのシリア軍の勝利に対して、「シリア政府軍によるアレッポの陥落」としており、これはこれらの国がアレッポの勝利をイラン主導の抵抗の枢軸の勝利だとしていることを示しています。

また、アレッポにおける勝利は、国際レベルでも、アメリカに対するロシアの勝利とされています。ロシアはシリア軍のテロ対策において、空からの支援を行い、この勝利によって、世界レベルでの交渉力や勢力を高めることになります。ロシアは戦闘の中でシリア軍の支援を行い、政治的な分野、特に国連安保理においても、アレッポ解放の5年以上前から、5回にわたり国連でのシリア非難決議に拒否権を行使し、シリアの体制に西側の強制的、国際的な圧力が行使されるを防ぎました。

アレッポの解放がロシアにとっての大きな勝利である一方で、これはアメリカの戦略の失敗とみなされています。

ロバート・フィスクはこれについて、新聞インディペンデントの中で、アメリカはISISにモスルを捨ててシリアに向かい、再び抵抗軍の拠点に攻撃を加えさせようとしているとしました。ちょうど数日前、ISISはパルミラを再占領することに成功しました。アメリカの軍高官も、イラクの義勇軍が、テロリストがイラクからシリアに撤退する道をふさいでいることについて、懸念を示しました。

全体として、アレッポの解放はシリア国内レベルでパワーバランスをシリアの体制側に有利なように変え、これにより、シリア軍が優位に立ち、テロリスト側が著しく弱体化することになるでしょう。これはシリアにおけるテロリスト根絶の始まりの地点とみなされますが、この状況はサウジアラビアのような地域と世界における大国の戦略と利益には反したものなのです。

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