3月 15, 2017 21:58 Asia/Tokyo
  • モンゴル族の襲来以前のイランの女性たちの服装

女性の服装は、その時代の文化や社会を研究する上で、真剣に議論されるテーマのひとつです。 今回のこの時間は、13世紀のモンゴル族の襲来以前のイランの女性たちの服装についてお話しましょう。

12世紀から13世紀の女性たちの様子が描かれた絵画は、それ以前の時代よりは増えているものの、ひげのない若い男性と見分けるのが難しいものもあります。なぜなら、この時代の女性たちは、ぴったりとした袖のある帷子を身につけているからです。この帷子には、点や線、幾何学模様などがデザインされており、幅の広い袖のついた上着を思い起こさせます。このような衣服は、男性よりも、女性の間で広まっていたようです。男性の衣服は、大抵、袖がぴったりとしたものでした。これらの上着は、袖の幅が広く、模様のついた上着の上に着られていました。

 

女性の帷子は、腰から下が開いていました。その下には、色が白く、幅の広いズボンを履いていました。これは、この時代の女性たちの間で最も合理的な服装でした。宮廷の女性は、つまさきのとがったサンダルを履いていたようです。その様子が陶器に描かれています。サンダルを履いているのは片足のみで、もう片方ははだしで刺青があり、足首にも飾りがつけられています。

 

宮廷の女性たちは、冠や帽子といった被り物を使用していました。陶器や金属製品、本の挿絵の上に描かれている最も明らかな頭の飾りは、宝石をちりばめた冠であり、前の部分にはセイヨウスイレンのつぼみか宝石が飾られていました。また、長いリボンがついていることもありました。

 

12世紀から13世紀にかけて、前の部分に宝石やプレート、リボンのついた小さな帽子が、女性たちの間で流行していました。これらの帽子は中央アジアで生まれたもので、主に女性たちが使用していました。東トルキスタンの壁画には、その様子が描かれています。高位の女性たちは、サーサーン朝時代のモデルを模倣した、羽のついた冠を使用していました。この冠は、陶器や書籍の表紙絵に見られます。

 

この時代、女性たちは、三角ストールを頭にまいたり、肩からかけたりしていました。また、陶器などには、高齢の女性がこの三角ストールを、腰から下に巻いている様子が描かれています。また、らくだに乗った旅人の女性が、頭髪を覆い隠すための布、ヘジャーブを頭に紐で縛っている様子が描かれ、多くは、三角ストールの角を頭にかけています。

 

これらの例から、イスラムが入ってから600年ほどの間、イランの女性たちの服装は、非常に伝統的なものだったこと、セルジューク朝以降の新たなスタイルによっても、イラン人の服装の基本は変わらなかったことが分かります。その一方で、男性的なスタイルを好む傾向も見られました。12世紀から13世紀にかけては、男女共に帷子を使用していました。女性たちは、ブーツや頭にまく布など、それまで男性のものだった小物を使用するようになりました。こうした変化はあったものの、イラン人の服装の伝統的な構造にはほとんど変化はなく、モンゴル族の襲来以降も、それらが身につけられていました。

 

12世紀から13世紀にかけて、帽子や冠に加え、女性たちは他の被り物も用いるようになりました。その中には、マグナエと呼ばれる被り物やターバンがありました。セルジューク朝時代の陶器には、すそをたらし、何重にも巻かれたターバンが見られます。また、小さな帽子の周りに布が巻かれているものもあります。

 

マグナエは、イスラム以降に広まった女性の被り物です。この時期の文学作品や詩には、マグナエという言葉が出てきます。13世紀、女性たちは、マグナエの周りに布をまいていたようです。10世紀のイランの英雄叙事詩、シャーナーメにも、マグナエを被った女性の姿が描かれています。この時代のマグナエは、赤を中心に、様々な色が使われていました。

 

イスラム以前、チャードルは全身を覆う布を指し、アケメネス朝時代、冠、あるいはティアラと共に身につけられていました。イスラム以降も全身を覆う布とされ、イスラム初期とそれ以降、イルハン朝時代まで、黄、青、黒のチャードルが見られました。

 

時に、チャードルは絹の紐と共に用いられていました。パリ国立図書館にある古い写本の挿絵には、ハーラズムーシャー朝時代の女性たちが、白や黒のチャードル、マグナエをしている様子が描かれています。とはいえ、これらの中でも、顔は完全に明らかでした。

 

実際、イランの男女の衣服は、すべて芸術的にデザインされ、最高の品質のものが使われています。例えば、この時代、女性たちは絹の靴下を履いていました。また、縁に装飾があり、つま先のとがったシンプルな靴を履いていました。

 

一部の芸術作品では、さまざまな丈のブーツを履いている女性の姿が描かれています。また、貴族の女性は、いろとりどりの模様のついたフェルト製の靴、宝石や刺繍のついた靴を履いていました。14世紀のモロッコの歴史家、イブン・バトゥータも、このような靴について触れています。

 

イスラムが入ってから200年から300年の間、女性の装飾品に関する情報はありません。しかし、絵画や彫刻、書籍では、イヤリング、ネックレス、ブレスレットといった装飾品が見られます。「イランの芸術」という本には、次のようにあります。

 

「大衆の間では銀を用いることは許可されていたが、女性の装飾としての金の使用には制限があり、男性は禁じられていた。為政者は大量の宝石を持っていた。装飾品は、三日月や人間の形をしたイヤリング、鳥のデザインのピンなどであった」

 

さらに、アメリカのイラン学者、アーサー・ポープの著書や世界百科事典でも、この時代の女性は、イヤリング、ネックレス、ブローチ、ブレスレット、宝石のついたベルト、リング、ヘアピンなどの装飾品を用いていたとされています。イランの女性の装飾品は、イランの国立博物館の他、世界の博物館に展示されており、それは、イランの女性が昔から装飾を重視していたことを物語っています。