イブンスィーナー
今回は、イラン・イスラム文明の形成における、イブンスィーナーの学術的な努力についてお話しましょう。
イスラム教徒が知識の創造とその移転において、ギリシャからルネサンスに至るまで、重要な役割を担ってきたこと、そのことは西側の多くの思想家や歴史家も認めています。
イブン・スィーナーは、981年、サーマーン朝の首都であったブハラ近くの村で生まれました。彼の父親はサーマーン朝の関係者の一人で、しばらくの間、ブハラ周辺地域の地方長官を務めていました。イブンスィーナーは5歳のとき、家族と共にブハラを訪れ、10歳まで、アラビア語文学とコーランを学びました。彼はしばらくの間、ブハラでイスラム法学を学び、その後、ナテリーという名の人物のもとで論理学を学びました。
イブン・スィーナーは、まもなくナテリーからその技術を学び、さらにその知識を深めるため、個人的な研究に勤しみました。それから16歳のとき、医学の分野で高い地位を得、多くの医者や偉人の相談を受けていました。18歳のときには、論理学、自然科学、天文学、幾何学、数学を学びました。イブン・スィーナーは、アリストテレスの形而上学を40回読んでもなお、その内容を理解することができなかったものの、その後、ファーラービーが記した形而上学の注釈書に触れ、それがきっかけで、アリストテレス哲学を理解することができたと話しています。
イブン・スィーナーは、イスラム期に最も影響を与えたイラン人の学者、哲学者、医学者の一人です。医学典範、治癒の書などが、イブン・スィーナーの貴重な著書です。彼の専門は、医学や哲学ではなく、数学、自然科学、音楽、詩にも精通していました。
明らかに、イブン・スィーナーは、イラン・イスラム文明において最もよく知られた思想家の一人です。なぜなら彼もまた、ファーラービーのように、学問の分類に効果的な役割を果たしたからです。イブン・スィーナーはまた、数学に論理学を用いました。彼は、学問の習得には、ひとつの方法ではなく、数多くの方法があることを証明しました。
哲学は、イブンスィーナーによって、当時、非常に大きな発展を遂げました。彼は、数学や哲学に貢献するとともに、プトレマイオスの天文学を批判しました。しかし、彼の最も特徴的な活動は、医学書の執筆だと言っても過言ではないでしょう。イブン・スィーナーは、この本の中で、イスラムに沿った形で、最も完全なアリストテレスの自然哲学を提示しました。これは、イスラム哲学者だけでなく、西洋の学者たちの思想にも影響を及ぼしました。
イブン・スィーナーの哲学的な思想は、アリストテレス哲学でした。そのため、多くの努力により、イスラム世界に逍遥(しょうよう)学派の基盤を定着させることに成功しました。とはいえ、逍遥学派は新プラトン主義の色合いを帯び、イスラムの思想的な原則を守っていました。復活について、イブンスィーナーははっきりと、肉体の復活は、理性的、哲学的な方法では証明できないが、預言者がそれを明らかにしているため、私たちもそれを信じるべきだとしています。
イブンスィーナーの哲学体系は、概して、特にその一部の原則の点で、彼の後のイスラム哲学や中世ヨーロッパの哲学に深い影響を与えました。イブンスィーナーは、逍遥学派の構造に革新をもたらし、アリストテレスの思想のあいまいな点を明らかにし、新プラトン主義などの思想の要素を用いて、新たな哲学体系を築くことに成功しました。彼は、死後の魂の存続について、魂は肉体の死によって滅びることはないとしています。
イブンスィーナーは、自身の哲学的な見解を、イスラム教徒の考え方に適応させようと努めました。彼はすべての問題を、コーランの内容から独立した理性的な方法によってのみ、議論していました。そのため、しばらくの間、不信心者や無神論者の象徴と見なされ、彼の著書を燃やすことが奨励されていました。例えば、イブンスィーナーの後60年、ガザーリーは、哲学を批判する著書の中で、彼を不信心者と見なしていました。これは、ガザーリーが、イブンスィーナーは、肉体の復活、詳細な問題や世界の出来事に対する神の知識といった哲学的な問題において、誤っており、宗教とは相いれない内容を記していたと考えていたためです。
とはいえ、イスラムの歴史を通して、不信心や無神論で非難された哲学者は、イブンスィーナーだけではありませんでした。彼の後も、多くの哲学者が、表面的な事柄を信じる人々に非難されました。ガザーリーをはじめとする表面的な事柄を信じる人々は、宗教の表面のみを考え、深い解釈を行っていなかったのです。
イブンスィーナーは、多くの作品や書籍を残しましたが、最も代表的な医学と法に関する作品により、彼はヨーロッパにおいて、哲学、医学の師として知られるようになりました。彼は医学の分野で偉大な学者として知られています。
イブンスィーナーは、イスラム文明の繁栄に効果的な役割を果たしただけでなく、西洋の文明、特に医学に大きな影響を与えました。幸いにも、この役割は、今日、いつにもまして世界の学術・文化界の注目を集めています。およそ4年前には、イランの尽力とユネスコの支援により、ベラルーシで、彼の著作「医学典範」の1000周年を記念する会合が開催されました。ユネスコのボコバ事務局長は、この会合にメッセージを寄せ、イブンスィーナーの学術的な地位を称賛し、次のように語っています。
「東洋の天才、イブンスィーナーをたたえる国際会議への参加は、大きな栄誉である。この会議は、人間の体を知るための最初の百科事典として知られるイブンスィーナーの著作の1000周年を記念して開催された。彼はイランで生まれ、彼の多くの作品はアラビア語であるが、すべての人類のものである。なぜなら彼の作品は、何世紀にもわたってヨーロッパやアジアで使用されているからだ」
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