1979年のイスラム革命前後のイランにおける知識生産活動
この時間は、1979年のイスラム革命前後のイランにおける知識生産活動についてみていきましょう。
これまでの番組では、イランイスラム文明の黄金時代について、ファーラービー、イブン・スィーナー、ハージェナスィール、ザキャリヤー・ラーズィーといった学者が、イスラム文明の形成に果たした役割についてお話しました。今夜の番組からは現代に入ります。
今夜は、この50年のイランにおける知識生産活動について、イスラム革命の前後の状況や統計を比較しながら見て行きます。イスラム革命は、イランの政治社会史における転換点だっただけでなく、学術、教育、研究の分野においても、大きな影響を及ぼし、イランにある運動の形成をもたらしました。その運動の結果は、この10年から20年の間に明らかになっています。その結果とは、世界の知識の生産におけるイランの驚くべき役割や目覚ましい発展、世界ランキングの向上以外の何ものでもありません。
知識や技術の発展は、イスラム革命とその指導者たちの思想において高い地位を有していました。なぜなら、この大きな出来事は、イラン国民の歴史的な要求である、発展の実現をかなえるためのものだったからです。そしてそれを実現するには、知識と技術に頼ること以外にありませんでした。このことから、ホメイニー師は、イスラム革命の指導者として、常に、イランの知識や技術の発展を、革命の重要な目的のひとつとして強調していました。また、革命のその他の目的、特に政治的、経済的、思想的な独立は、社会が知識という武器を身につけること以外には実現されないと考えていました。
ホメイニー師は常に、社会の後進性の要素のひとつである文盲の撲滅を強調し、人々、特に若者たちに対し、知識や技術の習得を呼びかけていました。
「強い決意によって、知識の習得に勤しむがよい。知識や見識を伴った人生は非常に豊かであり、書物に親しむことは、すべての苦しい出来事や失敗を忘れさせるほど印象深いものである。知識や技術は大きく発展したが、完全に手にするまでには、まだ長い道のりがある」
イスラム革命勝利後のイランにおける知識や技術の発展の側面のひとつは、社会における識字率の向上に向けた努力でした。そのため、革命の勝利から1年もたたないうちに、ホメイニー師は「識字率向上運動」という機関の設置を命じました。
ホメイニー師はこのメッセージの中で、次のように語っています。「文学と学問の発祥地であり、学問の探求を義務とするイスラムの教えが存在する国で、読み書きを知らない人々がいるというのは恥ずべきことである。長期的な計画により、我々の依存した文化を独立した文化に変える必要がある。読み書きを知らないすべての人は、それを学ぶ必要がある」
ホメイニー師はこの運動の形成を強調し、それを政府の活動に制限せず、すべての階層の国民に、この運動への役割を求めました。それは、あらゆる分野における独立と発展は、知識や技術に頼る以外に不可能であり、大多数の国民が最低限の見識や知識すら持ち合わせていない社会では、恒久的な開発は実現しない、という見方に基づいたものでした。
この運動の開始により、社会の識字率は驚くべき速さで高まり、多くの国民が読み書きを学びました。イスラム革命が起こった1979年、読み書きを知らない人の割合は52%、読み書きができる人の割合が48%だったのに対し、革命後には識字率が75%にまで上昇しました。革命からわずか20年後にはそれが80%に達しました。
識字率の上昇は、イスラム革命における教育の平等という重要な原則に基づいたものでした。革命前まで、社会のさまざまな階層の間での識字の習得は公正なものではなく、低所得層や農村地域の人々の多くが、都市部の人々と比べて、教育を受ける可能性に恵まれていませんでした。しかし、革命勝利後、教育の平等に基づいた計画により、農村地域の人々や遊牧民にとっても、教育を受ける可能性が整ったのです。
統計によれば、革命前の数年間、農村地域の人々の3分の2以上が読み書きを知りませんでした。しかし、革命後には3分の1に減少しました。言い換えれば、農村地域の人々や遊牧民の識字率が70%以上に達したのです。この成功は、革命後に大幅に人口が増えた中で実現されました。
イランの体制の計画や政策の中で、教育の平等に向けたアプローチは、農村の人々や遊牧民に限られたものではありませんでした。女性たちもまた、革命後、教育の平等の実現における最も重要な対象でした。
イスラム革命は、社会の様々な分野への女性の効果的な進出のために、新たな分野を整えました。そのうちの一つが、教育、研究分野です。革命前には、女性の35%が知識という恩恵に授かっていましたが、革命後にはそれが75%に上昇しました。
イラン識字率向上運動機関の理事によれば、革命直後、特に農村地帯の女性たちの識字率は非常に低いものだったとされています。そのため、識字率向上運動の80%は、特に農村地帯や遊牧民の女性たちのための活動に集中していました。現在、幸いにも、イラン人女性は、知識や学問を身につけたことにより、政治、経済、社会の多くの分野で効果的な役割を果たし、一部の分野では男性を上回る活躍を見せています。
革命後にイランに起こった大きな変化の一つは、高等教育の拡大でした。イランのイスラム体制は、国内の各地に大学を設置するため、あらゆる可能性を利用し、若者たちにさまざまな分野での学問の習得を奨励しました。
統計によれば、イランの大学生の数は、革命前にはおよそ1万6000人だったのが、1996年にはその8倍に増加しました。現在、イランの大学で学ぶ学生の数は、400万人を超えています。今日、イランでは、国立大学の他、イスラム自由大学、通信制のパヤーメヌール大学、職業訓練を中心としたエルミーカールボルディ大学が、社会のさまざまな部門のニーズにこたえています。
教育の平等の実現に向け、イランの高等教育の拡大は、農村や女性への注目に基づいたものでした。現在、イランでは多くの女性が高い知識を身に着けています。1978年の女子大生の総数は、5万人以下でしたが、1996年には、それが10倍の50万人に増加しました。
この数年、大学生全体の数に占める女子学生の割合は、男子学生よりも多くなっています。さらに、全国の高等教育機関の拡大により、現在、すべての国民が、高いレベルの教育を受けることが可能になっています。イランの高等教育の質と量の向上は、近年におけるイランの科学の急速な発展に大きな役割を果たしています。イランは科学の発展速度において、世界で高い地位を有しています。
博士課程の拡大も、イランにおける知識や学問の発展の土台のひとつです。博士課程の学生数の増加、学術雑誌の創刊、学術機関の設置、サイエンスパークの設置などが、博士課程の拡大に向けた政策の中で実現されており、現代におけるイランイスラム文明の復活への希望となっています。