ハーメネイー師の知識や技術に関する見解
この時間も、前回に引き続き、これまでの番組を振り返り、イランイスラム革命最高指導者のハーメネイー師の、イスラム体制における知識や技術に関する見解と、イスラム革命の主張についてお話ししましょう。
前回お話したように、この時間もこれまでの番組を総括します。前回は、これまでお送りしたイランの知識生産活動は、主に4つの部分に分かれていたことをお話しました。
第一の部分は、有益な知識に関して、イスラムの知識や技術に対するアプローチについてお話しました。第二の部分では、イスラム初期のイスラム・イラン文明の形成に学問の繁栄が及ぼした影響についてお話しました。第三の部分では、イスラム革命の主張と、最高指導者の見解に基づき、イスラム革命の前と後の、イランの知識や技術に関する状況を比較しました。そして第四の部分では、世界の研究業績データベースを引用しながら、世界の知的生産活動におけるイラン人学者の役割をご紹介しました。
この時間は、第三の部分についてお話します。
この番組の内容のひとつは、1979年のイランイスラム革命の勝利前後のイランの知的生産活動の状況の比較でした。革命後、イランでは非識字率が0に近くなっており、高等教育、特に博士課程で学ぶ人の数が大幅に増加しました。
この時期、イランのイスラム体制は、識字率向上運動やイラン各地における学校や大学の設立に向け、あらゆる可能性を駆使し、一般の人々、特に若者たちの、さまざまな分野における知識の習得を奨励しました。
革命勝利前後の40年のイランの知的生産活動の統計によれば、知識や技術への注目が広がり、イランの政策が、専門的な知識や技術を軸にした持続可能な開発に向かったことで、イスラム体制の確立の時期、イランの知的生産活動はおよそ120倍に増加しました。
イランで発表された論文の数は、革命前には2000本に過ぎませんでしたが、革命後には24万5000本にまで増加し、質の点でも、イランの状況は以前と大きく異なっています。
知的生産活動の質をはかる最も重要な基準は、論文が参照された数です。革命勝利前にイランで生産された2026本の論文について、参照された回数は1178回でした。しかし、革命後は94万5000回に増えています。言い換えれば、世界の学者たちがイラン人の論文を参照した数は、革命後、革命前に比べておよそ800倍に増加したことになります。
ISIをはじめとする世界の研究業績データベースの統計も、イスラム革命後のイランの知的生産活動の質と量の増加を認めています。
イスラム革命後のイランの科学的な発展の要因を見ていく中で、イスラム革命が提唱する事柄、主張、特にイランイスラム革命最高指導者のハーメネイー師の見解において、知識や技術が高い地位を有していることをお話しました。そのため、イランの政策や計画では、科学の発展が、持続可能な開発の根本的な柱として考慮され、イランの科学的な発展の土台となりました。
また、イランのイスラム体制の見方を検討し、知識や科学に対するハーメネイー師の見解の最も重要な側面は、知識と信仰の融合だとお話しました。ハーメネイー師は、イスラム学者として、知識や技術の習得を宗教的な義務のひとつと見なし、個人や社会の成長には、知識と精神性の二つが必要であり、どちらかがかければ、人間は目的地に到達できないと考えています。
ハーメネイー師の重要な見解のひとつは、西側の文明と文化の知識や学問に対するアプローチへの批判です。ハーメネイー師は、いくつかの点から、西側の知識に関する考え方を批判しています。
まず、中世のキリスト教の教えが学問と対立していたこと、第二に、西側が世界を支配するための道具として知識を利用していること、第三に、人類全体に自分たちの知識や技術が広がるのを阻止し、それを独占しようとしていること、第四に、環境破壊のために新たな技術や知識を利用していること、そして最後に、知識や学問を富と結びつけようとしていることです。
ハーメネイー師は、いかに富を作り出せるかを、知識や学問の価値を決める基盤にしている西側とは異なり、イスラムでは、知識は本質的な価値を持つものだと考えられているとしています。
ハーメネイー師は、西側が科学的な発展を遂げ、開発途上国が遅れを取っていることの理由を分析する中で、これらの国が科学的名な遅れを取っている主な要因のひとつは、第三世界の国々の思想家らが、自分たちの力を信じることができていないことを挙げています。また、それと共に、西側諸国は、さまざまな手段を用いて、独立諸国が成長を遂げ、特に科学的な成果を手にするのを妨げているとしています。
ハーメネイー師は、西側による科学的な発展妨害の手段としてこれらの国を侮り、これらの社会の学者から科学的な独創性や勇気を奪っていることを挙げています。挙げています。ハーメネイー師は、科学や技術を最大限、西側から学ぶべきだが、西側の誤った文化におびえたり、物質的な価値観に支配されたりしてはならないとしています。
ハーメネイー師は、イランのイスラム革命勝利の業績のひとつとして、西側への依存に基づく関係が断ち切られたために、若者たちが自分たちの能力を信じ、それを発揮するようになったことを挙げています。また、イスラム革命は、科学的な依存を断ち切り、若者の間の自負心を強化したとしています。それが、イランにおける科学的な成長の土台を整えることになりました。
ハーメネイー師によれば、西側寄りの有識者が、開発途上国の若者たちの自負心や希望を奪う大きな原因になっていると考えており、イランは革命前、こうした有識者の思想の影響により、国民としてのアイデンティティや力を信じたり、科学的な力を手にしたりすることができなかったと考えています。しかしイスラム革命後、このような失望は喜びに、自信のなさは自信や誇りへと変わり、科学、産業、技術、経済などのさまざまな分野で数多くの制裁が行使されたにもかかわらず、イラン国民は、科学的な力を手にし、その結果、政治、経済の分野でも力をつけました。
ハーメネイー師によれば、科学的な力は、政治、軍事、産業、経済の力の基盤となり、それはソフトな運動の形成によって手にされます。ハーメネイー師は、ソフトな運動の内容を説明する中で、知的生産活動における革新と独創性を強調し、ソフトな運動を実現するのに必要なのは、西側の科学的な独占を疑う勇気を持つことだとしています。そのため、大学に対し、西側の知識の基盤に果敢に対抗するために自負心を強化するよう呼びかけています。
ハーメネイー師は、西側の科学に疑問を呈することが、ソフトな運動の実現には不可欠だとし、「歴史的な経験から分かるように科学の分野における勇気により、大きな科学的革命が生まれている」としています。
ハーメネイー師は、科学的な革新こそ、ソフトな運動の実現に不可欠な要素だとし、そのために必要なのは、科学的な勇気と科学的な力だとしています。ハーメネイー師によれば、ソフトな運動を実現するための方法の一つは、これまでの遅れを挽回し、知識の境界を破るための道を探る努力です。ソフトな運動を完全に実現し、知識と科学の頂点を極めるためには、長い道のりを経る必要があり、体制責任者や思想家、若者たちの間の強い決意が必要になります。