イランイスラム革命最高指導者のハーメネイー師による知識や科学に関するの見解
この時間は、イランイスラム革命最高指導者のハーメネイー師による知識や科学に関する見解をご紹介します。
これまで2回にわたり、1979年のイスラム革命勝利の前と後の、イランにおける知識生産の状況を比較しました。世界の文献データベースにおける情報や統計は、イスラム革命とイスラム共和制の樹立により、イランは科学の分野で目覚ましい発展を遂げてきたことを示しています。
また、この20年の間に、イランの学者たちが、一部の学術分野において世界レベルに達したこともお話ししました。今夜のこの時間は、最高指導者のハーメネイー師の、イランにおける知識生産についての見解をご紹介します。ハーメネイー師は、宗教権威であるとともに、イランの科学に関する政策を決定する上で、最も影響力のある人物であり、イランの科学の生産の向上に大きな役割を果たしてきました。
ハーメネイー師の科学に対する見解で最も重要であり、彼の科学や知識に対する見解の基盤を形作っているのは、信仰と知識が共に存在すべきだということです。ハーメネイー師は、イスラム学者として、知識の習得を宗教義務のひとつと見なし、個人や社会の向上のためには知識と精神性の二つを身に着けるべきであり、どちらかだけでは、人間が目標に到達することはできないと考えています。
ハーメネイー師は、知識や科学の地位の強化、特に新しい知識の習得が、個人や社会の成長に不可欠であると考える、宗教指導者のひとりです。しかし、知識と精神性は二つの翼であり、どちらか片方が欠けた場合、目標に到達することは不可能です。
「社会が精神性のみに取り組み、知識の習得、人類のニーズに適した生活を送れるような人間の形成、学術的な発展、革新を怠れば、翼の片方が折れているのと同じである。イスラムが、すべての事柄を精神的な問題に限定し、物質的な問題をおろそかにすると考えるべきではない。イスラムは、現世を捨てることをはっきりと否定している」
ハーメネイー師は、イスラム体制の目標や政策の一つとして、知識と精神性を身に着けようとする、模範的な若い世代の教育と紹介を挙げています。ハーメネイー師は次のように語っています。
「我々は模範的な世代を世界に示そうとしている。彼らは知識の習得に努めるとともに、世界や人間自身に神から与えられたものを最大限に活用し、道徳的、精神的な価値観を守る敬虔な人間になれることを証明する。」
ハーメネイー師は、大きな科学的発展を遂げながら、道徳や精神性の点では退廃している社会は、個人や社会の損害になるとし、次のように語っています。
「科学の点では発展を遂げながら、道徳的な退廃や差別、道徳的な貧困に陥り、精神性を忘れるような社会を持つようであれば、それは大きな損失である」
この他、ハーメネイー師のイランにおける知識や科学の地位と基盤に関する見解の軸となっているのは、西側の文明や文化の、知識や科学に対するアプローチの批判です。ハーメネイー師は、少なくとも3つの点について、西側を批判しています。
まず、中世のキリスト教会の宗教的な見解が、科学的な知識と矛盾していることです。
第二に、西側が世界を支配するために知識や科学を道具として利用していることです。
そして第三に、知識や科学が全人類に広まることを妨げ、それを独占しようとしていることです。
ハーメネイー師は、キリスト教会の知識に関するアプローチを批判し、中世に科学の発展を妨げたのは、キリスト教ではなく、宗教的な知識が迷信や狂信に穢れたことにあったとしています。
「キリスト教が広まっていたヨーロッパでは、科学的な発展の始まりとともに、宗教的な知識の終焉を伴った。つまり、科学的な発展の段階の始まりが、宗教的な知識の終わりと見なされた。宗教的な知識は、キリスト教では、迷信的で、完全に科学に反するものであったからだ。ヨーロッパで、学者が科学的な発見のために投獄されたり、鞭で打たれたり、焼かれたりしていた時代に、知識や科学が注目されるようになるには、宗教が廃れ、そのような時代が完全に終わりを告げなければならないのは当然のことだ」
ハーメネイー師は、西側における精神性を伴わない科学発展の結果、弱小国に対する政治的、経済的、軍事的な支配のために科学が道具として利用されることになったとしています。
「今日、世界における政治的な力や影響力は、3つの基盤の上にある。一つは、富や経済的な可能性、二つ目は、科学技術、三つ目は、メディアの力である。現在、力の手段は過去とは異なっている。知識や科学は、間違いなく、現代の政治的な力の手段のひとつになっている。以前はそうではなかった。科学は存在したが、それは政治的な支配の手段ではなかった。だが現在はそのような形になっている」
ハーメネイー師は、西側の文明を批判する中で、その植民地主義的な歴史に触れ、「西側は、科学や科学的な発展を、政治的、軍事的、経済的な力に変え、植民地主義や覇権主義の拡大に利用している」と語りました。
「彼らは科学的な発展により、軍事的な力を得ることができた。つまり、科学的な発展が、彼らに軍事的な力を与え、軍事的な力は、彼らに政治的な力を与えた。ヨーロッパが科学や知識を手にしたとき、それは他国を支配するための手段となり、知識や科学は植民地主義の支えとなった。そして現在は、覇権主義の支えになっている」
ハーメネイー師は、現代の世界の関係は、支配する側とされる側のモデルに基づいているとし、次のように語っています。
「覇権主義勢力が、支配する側とされる側の関係を維持するために強調している問題は3つである。文化的な支配、経済的な支配、そして科学的な支配である。それに必要なのは、支配される側が、この3つの分野において、独立、自信、発展に至らないようにすることだ」
ハーメネイー師はまた、次のように語っています。
「現在、世界の政治的な構造は、支配する側とされる側という形になっている。それが崩され、各国が、それぞれの国民の能力や可能性に合わせて、国際関係においてしかるべき地位を持つことができるとすれば、それに影響を及ぼすのは科学や知識である。知識や科学を真剣にとらえるべきだ」
ハーメネイー師が、西側の科学の発展に関して批判している三つ目の点は、西側による科学の独占追求です。ハーメネイー師は、イスラム文明と西側の文明の違いのひとつはこの問題にあると考えています。そして、イスラム文明では、知識や科学を他人に教えることが奨励されているだけでなく、宗教的な義務と見なされ、イスラム教徒は知識の移転に努めてきたが、西側の文明は科学を独占し、それを広めようとはしなかったとしています。
「ヨーロッパ人は、科学の発展を自分たちの中だけにとどめようとした。だが、イスラム教徒が世界の科学の発展に大きく貢献していたイスラム文明の時代、彼らは知識の習得を義務と考えていただけでなく、それを他者に広めることも不可欠だと見なしていた。そのため、イスラムの大学には、無料でイスラム教徒から知識を学ぼうとする学生が、あらゆる国からやって来ていた。これは、知識が秘密事項とされ、他の人には与えられていなかった時代のことである。だがイスラム教徒は、知識を他の人たちにも与えていた。ヨーロッパ人は常に、それ以上、その知識が必要とならなくなったときに始めて、それを他人に与えていた。つまり、科学の最高の発展を常に、自分たちの中だけに留め置いていた」
ハーメネイー師は、これら3つの点の他にも、いくつかの点から、西側の文明の科学的な発展を批判しています。そのうちの一つは、西側の科学の環境破壊であり、富や財産との結びつきです。ハーメネイー師は、西側の知識や科学は、多くの点で、人間の福祉に貢献してきたが、環境破壊や、富との結びつきにより、悪影響も及ぼしてきたとしています。