1394年のイラン(1)
イラン暦の昨年、1394年におけるイラン外交は誇り高く、厳しい試練を乗り越えることができました。
ザリーフ外務大臣率いるイランの核協議団は、およそ2年間の困難な核協議の後、この試みを成功させ、拡張主義的な大国に対して、政治的・経済的な圧力や軍事的な脅迫により、イランの発展の道を妨害するのを許しませんでした。
イランの外交面での成功と、核問題に関する敵の脅迫をイランの核の権利を確立する機会に変えたことは、敵の複雑な陰謀に対するイランのソフトパワーを示した大きな成功だったのです。
昨年の3月21日から今年の3月19日までのイラン暦の1394年、イランの外交にとって、核問題の解決は重要なものでした。イランは外交面で抑圧的な制裁に抵抗し、敵を諦めさせ、その抑圧的な制裁の一部を解除させることができました。この成功は明らかに、イラン国民の抵抗の成果なのです。イランはこの協議で世界各国に対して、いかなるときも核兵器を求めていなかったことと、信頼醸成と問題解決のために、建設的な話し合いと協力を行う国だということを示すことができたのです。
核協議における成功は、昨年のイランの政治的な出来事で重要なもののひとつでした。この協議は2013年11月24日の枠組み合意によって始まり、最終的に2年近くの紆余曲折のあと、イランの核外交は、2015年7月14日、オーストリア・ウィーンで実を結ぶことになり、イランと6カ国の核協議は明確な結論に至ったのです。
現在、核合意の実施により、多くの問題が解決し、イランは国際政治の分野、特に地域の危機に関して、決定的な役割を果たすことができます。核合意に従い、経済・金融分野での制裁が解除されたことで、イランはインフラを拡張し、経済的な基盤や地域の投資を強化する経済協力における、新たな時代に入っています。イランの外交はこの問題を解決する中で、イランは自国の責務を完全に、正確に果たし、あらゆる政治的な見解を離れて行動することを示しました。
(音楽)
イランの力強い外交は、核協議の中で、イランは拡張主義的な大国の抑圧や独占主義に屈することなく、自国の権利を守るということを示しました。拡張主義的な大国は、はじめからイランの核計画の中止を求め、イランにおける濃縮活動、イラン中部のアラーク重水炉、フォルド核施設の活動停止、原子力分野に関するあらゆる研究・開発活動の妨害にむけて努力していました。しかし、これに関して、その目的は失敗に終わりました。現在、核問題の解決と世界の6大国との協力の成功は、国際面、地域面でのイランの力を安定させています。
イランのローハーニー大統領によれば、イラン国民の敵によって築かれたイラン恐怖症の壁は崩壊したということです。核問題におけるイランの成功は、6カ国によってイランの核の権利が正式に認められたことを意味し、イランを孤立させるための努力は、無意味だったということを示したのです。
最終的な核合意の締結は、イランの敵の筋書きを無効にし、これによりイランは国連憲章第7章の条項による制裁から解放され、イランに対する脅迫を効果のないものにしました。イランは外交の中で、核に関する権利や、国連安保理の理事国の数カ国から強い反対を受けていた濃縮活動の継続の権利を獲得しました。この成果は、政治的な勝利であり、イランの核活動が平和的であるとするIAEA国際原子力機関の理事会の決議は、これを現実のものとしました。イランは核合意に基づき、完全な核燃料サイクルや濃縮活動の権利を有する、平和的な核計画を持つ国として認められ、イランにおける核施設は維持されることになりました。
包括的共同行動計画となった核合意の締結により、イランの核計画の平和性が認められ、過去のイランの核計画に関して問題と呼ばれていたものについては永遠に封印され、イランに対する制裁も解除されました。核合意は核問題に関する合意ですが、間違いなく、政治経済的に幅広い影響力を持っています。イラン暦の昨年の政治・経済関係におけるこの変化の影響は、特に2015年末、ヨーロッパ・アジア諸国からの大規模な政治経済使節団のテヘラン訪問に現れています。一方、アメリカの政府関係者は、取り決めを守らないことに慣れてしまっています。
アメリカの政府関係者は、この30年間に渡り、テロ支援や人権問題などでイランを非難し、イランに対する制裁や圧力を行使してきました。アメリカ関係者のイランに対するこの言動は終わることがなく、これはイラン恐怖症計画が今もなおアメリカを筆頭とするイラン国民の敵によって行われているということを意味しています。このため、アメリカの過去と現在に関する行動に関して、イラン国民が重要視しているのは、イラン国民のアメリカに対する不信感が忘れ去られてはならないということなのです。
このため、イランイスラム革命最高指導者のハーメネイー師は、ローハーニー大統領の核協議の合意に関するものと、包括的共同行動計画の実施に関する2通の書簡に対する返事の中で、核協議においてアメリカが信用できないという問題に触れ、政府関係者に対して、相手側が完全に取り決めを実行するかに注意すべきだとしました。ハーメネイー師はまた、交渉の中で手に入れたものために、大きな負担を強いられているという事実に言及しました。さらに、相手側が取り決めを実施する中で、核合意が決められた道の中で実施されるよう監視、注意し、相手側が取り決めに違反することがあれば、その道を閉ざすことが必須だと述べました。
ローハーニー大統領は、核合意の実施がはじまったあと、ハーメネイー師にあてた書簡の中で、原子力、政治、法律、経済におけるイランの11の成果を説明し、これらの成果はイランの人々の12年の忍耐により、あらゆる制裁や脅迫に立ち向かう中で、聡明な指導者の勇敢さと賢明な導きのもとで達成されたとしました。ローハーニー大統領はまた、この書簡の一部で、IAEA理事会の12の決議と5つの決定が無効になったことに触れ、今や、イランの過去の核計画に関する問題や疑惑は終結したとしました。金融取引や銀行活動、SWIFT国際銀行間通信協会、投資、保険サービス、石油や天然ガス、石油化学、海運などの運輸、金などの貴金属の取引、自動車、航空機などの分野における国連安保理やEU、アメリカの核問題に関する経済・金融制裁は解除されました。
このため、世界経済にイランが参入し、輸出市場に関する機会を活用し、国際的な資本市場を利用する下地は整っています。核制裁によるイランの資産凍結も解除され、このため、投資を活用し、国内で雇用を創出する可能性が整っているのです。
この合意により、イスラム革命に対する誤ったイメージを描く、イスラムやイランに対して悪意を持つものの数年来の努力は失敗に終わりました。イランは現在、全面的に、核技術の分野で大きく前進しており、この技術を利用して、難病を治療するための様々な放射性医薬品を製造し、また原発に必要な核燃料を生産、ナノ技術による製品を生産することで、国際的な最新技術を持つ数少ない国のひとつとなっています。
実際、アメリカの敵意や妨害にもかかわらず、現在、核合意を実施することで、イランは多くの機会と可能性を得ているというべきでしょう。今日イランはよりよい未来に向かって、いつの時代にも増して安定を享受しながら、歩みを進めています。核合意が実施されている中で、現在イラン暦1395年が始まりましたが、イランは経験から、アメリカは信用すべきではないということを学んでいるのです。