ことわざ: 「苦労の痛みが分るのは、同じ体験をした人だけ」
昔々のこと。大きな町に一人の男が暮らしていました。
昔々のこと。大きな町に一人の男が暮らしていました。
町での暮らしに疲れた男は、しばらくの間、町の喧騒から離れて静かに暮らしたいものだと考えました。そこで、町から遠く離れた村へとやって来たのです。男は村の空気や小鳥たちのさえずりに心を癒され、体の奥から力がみなぎって来るようで、大きく深呼吸をしました。するとそのとき、突然、頭の上の方から声がしました。
「おい、そこで何をしている?」
町の男が声のした方を振り返ると、庭園の塀にはしごをかけて、果物を摘み取っている村の男の姿がありました。町の男は、村の男に向かって話しかけました。
「ここでは何をすればいいのでしょう?私は、町の暮らしから離れ、しばらくの間、穏やかに暮らしたいと思って、この村にやって来たのです」
町の男の答に、村の男はにっこりと笑って言いました。
「そういうことなら、私は君を大いに歓迎する。さあ、私の庭にいらっしゃい」
町の男は庭園の入り口の方へと歩きながら思わずつぶやきました。
「庭園を持つ男と知り合いになれるなんて、これ以上いいことはない」
村の男ははしごから降りて、町の男のために庭園の扉を開けました。町の男は、目の前に広がった光景に息をのみました。塀の中はまるで楽園のように熟した果実がたわわに実っています。村の男は言いました。
「どうぞ。幾らでも好きなだけ、果物を召し上がってください」
町の男はまず、リンゴの木に向かいました。リンゴは立派で真っ赤に色づいていました。彼はまずひとつをもぎ取ってかじってみました。そして、一つ目を食べ終わらないうちに2つ目のリンゴに手を伸ばしました。そして、3つ目、4つ目と、新しいリンゴをもぎ取っては、何口かかじっただけで地面に放り投げたのです。リンゴに飽きた男は、今度はブドウの木に向かいました。ブドウはつやつやと金色に輝いていました。男はブドウの房をもぎ取り、何粒かを一度に頬張ると、それから桃の木に向かいました。桃は甘い香りを放ち、そこから蜜のような果汁が滲み出しています。町の男は、桃を1つ、2つ味わうと、もぎ取った残りを地面に捨てました。男は自分が何をしているのか分っていませんでした。どの果物の木のそばに行っても、少し食べただけで残りはつぶしてしまい、地面に捨てていったのです。
こうしてしばらくの時が過ぎました。果物を食べたり、潰して捨ててしまうことにも飽きてしまった男は、木陰に座って休むことにしました。そのとき、村の男が自分を見つめていることにようやく気が付いたのです。村の男はしかめっ面をしたまま黙りこんでいました。町の男は、村の男に尋ねました。
「もしかしたら、私はあなたを不愉快にさせてしまったのでしょうか。言いたいことがあるなら、どうぞおっしゃってください」
村の男は悲しそうに口を開きました。
「私があなたに何を言えるというのでしょう? あなたはこれまで、花を植えたこともなければ、作物を収穫したこともありません。夜に眠気と戦いながら水やりをしたことも、朝早く、花のつぼみを見るために心を躍らせたこともないのでしょう」
町の男は尋ねました。
「いったいあなたは何をおっしゃりたいのですか?」
村の男は、ため息をついて言いました。
「つまり、あなたは、この庭園が自然にできあがったものだと思っている。誰かが多くの苦労を重ねて作り上げたものだとはみじんも考えていない、ということです」
町の男は思わず立ち上がって言いました。
「何ですって? これほど立派な庭園が自然にできあがるはずがないでしょう。私だって、あなたがこの庭園を作るために、どれほど苦労したかはわかっているつもりです」
村の男は深いため息をついて言いました。
「口で言うのは簡単かもしれません。でもただ言うのと、実際に苦労を体験するのとは違います。あなたには、私の代わりに、この庭を作る苦労を味わうことは到底できないでしょう。それからこのことも覚えておいてください。苦労の痛みが分るのは、同じ体験をした人だけです」
このときから、他人の苦労も知らずに、口先だけでそれを理解したような口を利く人には、こんな風に言うようになりました。
「苦労の痛みが分るのは、同じ体験をした人だけ」