人間の自由意志による行動
前回は、魂の健康が肉体の健康だけでなく、現世と来世における安らぎと救済につながり、情愛や優しさ、倫理を基盤とした、自分自身や周りの人々、そして周りの世界との躍動的な関係をもたらすことについてお話しました。今回は、魂の健康を増進、或いは妨害する要素としての、人間の自由意志による行動についてお話しましょう。
既によく知られているように、全ての人間は、外見や文化、習慣などの面での違いはあるものの、共通した性質を持っています。彼らは誰もが、神から授かった健康な魂をもってこの世に生まれます。この魂の健康は人間が最高の極致に至るための手段です。
もっとも、人間は、生まれる前にも両親の身体や精神の特徴、栄養など様々な要因の影響を受けることから、その魂の健康のレベルもそれぞれ異なっています。ですが、精神面での教育の影響のもとにおかれたときから、特に自らの自由意志により行動の方向性を決定するようになってからは、魂の健康に注意する必要性が高まり、任意の行動の健康も維持される必要があります。
人間は自由な意思を持ち、自らの行動を義務的なものとそうでないものに区別し、どの行動が任意のもので、どれが義務的なものかを判断できます。
人間は、手を伸ばして皿を取ろうとするとき、その自分の行動が任意のものであることを知っています。時には、体内に生じる衝動にかられて自然に手が出ることがありますが、この状態では本人が、それが自分の意志によるものではなくいことを知っており、人間は誰でも、この2つの行動を識別できます。
「人間には自由な意思がある」と言われる場合、ここで言う自由な意思とは、何かを選ぶ力や意識を意味します。その人は、自分の目の前にある2つの選択肢のうち、1つを実行し、もう1つの選択肢を捨てることになります。
このため、動物の死肉しか食べるものがなく、餓死する寸前にあるほど困窮している人にも、選択の権利があります。動物の死肉を食べてでも生き延びるか、死ぬかです。もっとも、中には、人間には行動の自由などないと吹き込もうとする人もいます、こうした人々の一部は、人々は社会の荒波に抵抗できないごく小さな存在であるために、人間には選択の自由がないと考えています。
また、中には歴史というものを、さまざまな段階に分けて捉え、それらの一つ一つの段階は必ず起こるべきものであり、人々も、その出来事に応じて、それらに関わることになると考える人もいます。さらには、遺伝などの自然な要素の役割を強調する人々もおり、こうした人々は、人間の個人的な役割を完全に無視しています。このため、個人の行動そのものについて考えるのではなく、過去から引き継がれたどのような要素が、その出来事の要因になったのか、あるいは、脳内のどのような化学的プロセスが、人間の体を動かしたのか、といった点に注目します。
勿論、社会や環境、遺伝的な要因が人間の自由意志による行動に影響を及ぼすことも、決して否定できません。ですが、そのいずれの要因も、人間の意志や選択の自由を、その人から完全に剥奪してしまうことはありません。実際に、これらの要因は、人間の一部の道の選択を困難にはするものの、最終的に、様々な選択肢の中から1つを選び取るのは人間の意志なのです。
私たちは、特別な状況に置かれたことを口実に、自由な意志で決められなかったと主張することはできません。預言者ユーソフは、エジプトの王宮において、自分が犯罪を犯す引き金となるあらゆる手段や自然的な要因があったにもかかわらず、自分の意思によって王妃ゾレイハーから遠ざかり、閉ざされた扉の方に逃げ、罪に穢れることがないようにしたのです。
エジプトの王フィルアウンの妻アースィーエも、多神教信仰に完全に汚された環境において、一神教信仰のスローガンを唱えました。彼女は、自分は神だと主張する夫の傍らで、正しい選択を行い、自由を正しく利用することによって、最も信仰の厚い女性として生きました。これに対し、預言者ヌーフの妻とその息子は、預言者ヌーフの傍らにいながら、やはり自分の意思で、ヌーフに反対する側につきました。
人間は、自分に与えられた自由に選択する権利を信じず、外的な要因に支配されていると考えれば、健康を高めるために努めることはありません。このため、魂や精神の健康を高めるには、人間の意思を強める要素、また弱める要因を正しく知り、それに注目する必要があるのです。
意思を強める重要な要素の1つは、何かよいことを継続して続けることです。たとえば、礼拝や断食は、意志を強めるのに大きな効果があるとされています。
これに対し、人間の意志を弱める最大の要素は、不適切な行動や習慣です。特に、麻薬中毒などの習慣は、心と体に同時に大きな弊害を及ぼすことから、さらに深刻なマイナスの影響を与えます。
次回もどうぞ、お楽しみに。