4月 24, 2018 20:29 Asia/Tokyo
  • 自然環境について考える
    自然環境について考える

これまでの番組の中で、自然環境の構成要素や、環境を破壊する要因について詳しくお話しました。また、地球を救う唯一の方法が自然環境とそこに存在する天然資源の保護であることにも繰り返し触れました。しかし、果たしてこれまでに世界規模でどのような環境保護対策が講じられてきたのでしょうか?今回は、この疑問に対する答えについて考えることにいたしましょう。

過去においては、環境保護は各国の領内における国内問題とされていました。しかし、この数十年間において政治、経済、科学技術、そして自然環境の分野において一国、或いは国際レベルで大規模な変化が生じていることから、自然環境の概念も変化し、世界規模での環境保護が注目されてきています。

特に先進国で環境破壊の危険な結果が見られる一方で、自然や環境に関する知識レベルが向上したことから、各国の政府や国民、そして国際機関は次第に、環境汚染の危険の様々な側面や、その要因への対処の必要性に注目するようになりました。このため、1960年代に入ってからは多くの国際機関において、環境に関する懸念が取り上げられてきています。

1960年代になると、WHO・世界保健機関やWMO・世界気象機関、IAEA・国際原子力機関、FAO・国連食糧農業機関といった国際機関により、環境汚染の様々な側面が注目されるようになりました。

例えば、海洋環境はIMO国際海事機関、FAO、ユネスコ、WHO、IAEAといった国際機関の注目を集めています。また、海洋汚染と水産資源の開発は、世界気象機関やFAO、ユネスコなどの国際機関により取り扱われています。また、地球の利用と天然資源の保護については、FAOとユネスコが注目していました。しかし、環境問題に完全に集中し、自然環境分野での現在の活動や政策の調整を行い、国際協力を高めた組織機関は、これまで存在しませんでした。

しかし、1960年代の終わりになると、国際社会がこうした不足を感じるようになりました。最終的に、1972年にスウェーデン・ストックホルムで開催された国連人間環境会議において、環境問題を専門に扱うUNEP・国連環境計画の設置案が採択されています。

国連環境計画の設置案と同時に、国連総会もこの組織結成を承認する決議を採択しました。国連環境計画は、1973年に国連内で環境を専門に扱う組織としての活動を開始しています。この組織は、国連やそのほかの国際NGO、政府組織に所属する専門機関と各国の政府間において、政策の決定や環境に関する様々な課題を推進する権限を持っています。

自然環境について考える

 

温室効果ガスは、二酸化炭素やメタンガス、亜酸化窒素などであり、地球のエネルギーバランス全体に影響し、地球温暖化や気候の変動に拍車をかけています。この温室効果ガスに対する国際的な懸念の高まりにより、1988年には気候変動の危険を調査し査定する目的で、国連環境計画と世界気象機関の協力により、気候変動政府間パネルが設置されました。

1990年11月にスイス・ジュネーブで開催された第2回気候変動会議の参加国は、気候変動政府間パネルが発表した報告に基づき、気候変動対策に向けた国際条約の作成が重要であるとの結論に達しました。

その後、協議が開始され、参加国は気候変動関連の初期的な条約を作成し、これをブラジル・リオデジャネイロでの環境会議で採択することを決めました。国際的な懸念は、気候変動の問題に加えて天然資源の枯渇や、多数の動植物の個体種の絶滅といった問題にも及んでいます。

国連環境計画は、1988年から1990年にかけて、専門家によるグループを結成し、この問題を検討しました、そして1991年6月には、リオデジャネイロにて動植物の多様性に関する条約の作成と、その採択に向けた協議が開始されたのです。さらに、先進国の多くが、熱帯雨林の保護管理に関する国際条約の作成への意向を示しています。

また、アフリカ諸国の多くが砂漠化の問題を抱えていることから、砂漠化防止に関する条約の作成に向けた努力も開始されました。

これらの条約の作成に向けた努力に加えて、持続可能な開発をめぐる合意の成立や、この目標に秘められた目標の達成に向けた国際的な措置も講じられました。協議の主な議題は、リオデジャネイロ地球サミットでの採択を目指す2つの主要な文書の作成でした。その1つは、後にこのリオ会議で環境と開発に関するリオ宣言と改称されることになった声明です。そしてもう1つは、リオ会議でアジェンダ21として紹介された、持続可能な開発計画の実施に必要な取り組みでした。

 

1992年、リオデジャネイロにて環境と開発に関する国連会議・地球サミットが開催されました。

この国際会議は、環境保護と持続可能な開発の分野で講じられた、最も重要な国際的措置の1つでした。この地球サミットには、150カ国の代表、135カ国の首脳、およそ4500人の各国の政府関係者、1500人の組織代表が参加しています。このサミットの終了に際しては、アジェンダ21と森林保護管理に関する声明、気候変動や動植物の多様性に関する条約が署名されました。この条約も、地球サミットの成果の1つと見なされています。

ある国際条約の採択は、その条約がこれを署名した国の国会で承認され、その国が法律に基づいてその条約に対する自らの取り決めの実施を義務付けられることを意味します。普通、少なくともいくつかのそうした国で国際条約が発効するには、何年もかかります。例えば、1982年に採択された国際海洋法条約が発効したのは、その12年後の1994年でした。しかし、幸いにもリオデジャネイロで採択された3つの条約はいずれも、2年後に発効し、特に気候変動枠組み条約が強調されました。国連気候変動枠組み条約の第1回締約国会議は、1995年に開催されています。

1995年3月にドイツ・ベルリンで開催されたこの会議では、先進国による温室効果ガスの排出量の削減を目指し、より強制力のある取り決めを設定するための、早急に協議を実施することが決定されました。その後、1997年には京都議定書により、先進国が10年間で自国の温室効果ガスの排出量を5%削減すること、そして太陽熱や風力といった、再生可能なエネルギーの使用を増やすため、発展途上国に資金援助を行うことが取り決められています。

しかし残念ながら、より強制力のある多くの取り決めを受諾するよう先進国を説得することには、幸先の良い展望は望めませんでした。この数十年間に工業国の仲間入りをした国、特に中国やブラジルを初めとする中南米諸国、それより程度は低いものの、インドといった国は、自国の経済発展を優先させ、環境面での目的はあくまでも自国の経済発展の枠組みで捉えています。

また、サウジアラビアを初めとする産油国及び石油輸出国も、気候変動対策に向けた取り組みに反対しました。それは、環境保護対策により、工業国からの原油の購買要求が減ってしまうと言われていたからです。EUやそのほかの西ヨーロッパ諸国は、2010年までに温室効果ガスの排出量を5%から10%削減することに同意しました。しかし、アメリカ、カナダ、日本、オーストラリア、そしてそのほかの一部の先進国は、自国の温室効果ガスの排出量の削減にそれほど関心を示しませんでした。

大半の東ヨーロッパ諸国や、旧ソ連からの独立国も、自国の経済成長を妨げると思われる取り決めを、一切受け入れようとしませんでした。さらに、他のどの国よりも地球温暖化の被害を受けている発展途上国も、自国の経済状況のため、地球温暖化対策で定められた目標を達成できない状態にあります。こうした理由から、温室効果ガスの削減に関する国際的な意見の一致を得るため、2015年11月20日には、フランス・パリで国連気候変動枠組み条約第21回締約国会議が開催されました。この会議の狙いは、実現可能な1つの目標を定めることでした。

そのパリ会議の結果は果たしてどうなったでしょうか?ラジオをお聞きの皆様、今夜はここで時間がきてしまいました。この疑問の答えは、次回のこの時間に詳しくお話することにいたしましょう。

パリ会議