6月 23, 2018 23:57 Asia/Tokyo
  • コーラン第92章アル・ライル章
    コーラン第92章アル・ライル章

今回は、コーラン第92章アル・ライル章についてお話しします。

慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において

 

アル・ライル章は、イスラムの預言者ムハンマドがメッカからメディナに移住する前にメッカで下され、全部で21節あります。

 

この章は、創造世界の重要な現象に3つの誓いを立てた後、人々を2つのグループに分けています。その2つのグループとは、敬虔で施しをする人々と、最後の審判の報奨を否定するけちな人々です。その上で、寛大で気前のよい人々の結末は、幸福と平穏であり、吝嗇な人々の結末は、困難と不幸だとしています。

 

アル・ライル章ではこの他、神による僕たちの導き、創造世界に対する神の支配、神の節を否定する人や罪を犯す人、地獄の業火に焼かれる人と、救われる人の性質について述べています。

 

神の預言者ムハンマドの時代、裕福でありながら、けちな世俗主義者がいました。彼のヤシの木の枝が、隣に住む貧しい人物の家にかかっていました。時折、その裕福な男のヤシの木から、数粒の実が貧しい男の家に落ち、子供たちがそれを拾っていました。しかし、ヤシの木の持ち主がやって来て、その実を子供たちの手から奪っていました。貧しい男は預言者ムハンマドにその問題を訴えました。預言者は、ヤシの木の持ち主を呼び出し、彼に言いました。「天国であなたがヤシの木の恩恵にさずかれるように、私にその問題の木を譲ってくれませんか?」 男は言いました。「私はたくさんのやしの木を持っていますが、この木ほど立派なナツメヤシの実をつけるものは他にありません。だからそのような取り引きには応じられません」

 

預言者の教友の一人がその会話を聞き、言いました。「神の預言者よ、私が行って、この木をその男から買い取ります。あなたは、この男に与えようとしていたものを私に与えてくれますか?」

 

預言者は分かったと言いました。教友は早速ヤシの木の持ち主のところに行き、言いました。「その木を私に売ってくれませんか?」 ヤシの木の持ち主は欲を張り、高い値段をつけました。買い手の教友は驚いて言いました。「曲がったヤシの木に、それほどの大金をつけるとは」 それから少し沈黙した後、言いました。「分かりました。支払いましょう」 こうして取り引きが成立し、教友は預言者のところにやって来て言いました。「神の預言者よ、そのヤシの木は私のものになりました。それをあなたに差し上げます」

神の預言者は貧しい家族のもとに行き、言いました。「この木はあなたとあなたの家族のものです」

このとき、アル・ライル章が下され、けちな人と寛容な人に関する言葉が述べられました。

 

 

アル・ライル章は、夜とその闇、昼とその明るさに誓いを立て、創造世界におけるつがいの創造主に触れ、第3節で次のように語っています。

 

「また、オスとメスを創造された方に誓って」

 

オスとメスのつがいの法則は、コーランの奇跡のひとつです。なぜなら、人間や動植物の世界におけるつがいの存在、受精から出産、あるいは発芽にいたるまでの変化、オスとメスのそれぞれが活動や計画に沿って持つ特徴、これらは皆、大きな創造世界のしるしであり、それによって、創造主である神の偉大さを知ることができるのです。

 

アル・ライル章はその後、この誓いの最終的な目標に触れています。第4節を見てみましょう。

 

 

「あなた方の努力は多様である」

 

人間の努力は、その人が持つ意志、決意、好み、欲望、目的、動機の結果です。間違いなく、人間の行動や努力は、動機や生活習慣によって異なります。コーランの節は、次のように語っています。「あなた方はどのような状態にあっても、生活の中で努力し、神から与えられたあなた方の存在の資本である力を費やすが、あなた方の努力がどのような方向に向かい、どのような結果に結びつくのかを考えるべきである。すべての資本や能力を、わずかな額で取り引きしたり、無駄に使ったりしないように。あなた方の努力を、神から好まれるよいことに使い、好ましい結果が得られるようにしなさい」

 

 

アル・ライル章の第5節は、人々を2つのグループに分けています。

 

よい行いによって神の道において施しをし、敬虔さの道を進む人々、神は彼らを易しい道に据え、永遠の天国へと導いてくださいます。

 

これに対し、けちで神の報奨を否定する人々は、難しい道に据えられます。彼らは地獄に落ちるとき、財産を役立てることはできません。それらの財産を持ってこの世を去ることもできず、たとえ持っていったとしても、それらによって、彼らが地獄の業火に落ちるのを妨げることはできません。原則的に、このような信仰のない人々にとって、よい行い、特に神の道における施しは困難なことですが、敬虔さの道を進む人々にとっては、喜ばしいものです。

 

 

アル・ライル章の第12節は、導きは我々の務めだとしています。神の導きは、この世界のすべての存在物を含むものであり、人間は、世界の創造主がすべての存在物を、それぞれの能力に沿って、どれほどの秩序と注意深さによって導いたかを、存在物の中に見ることができます。

 

土の中に埋められた種は、世界の主の導きにより、正確な秩序と計算によって成長し、定められた状態に達します。世界の主である神は、人間を導き、人間に道を示して目的地に到達させることを義務としています。とはいえ、人間自身もまた、幸福の道を進もうと望むことが必要です。

 

 

 

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