イスラム世界に輝くトルコ石・北西部タブリーズ市(1)
アナ1; ラジオをお聞きの皆様こんばんは。イラン各地の見所をご紹介する「イランの名所旧跡を訪ねて」の時間がやってまいりました。
今夜から、イラン北西部の大都市タブリーズについてご紹介してまいりましょう。タブリーズは、今年のイスラム世界の観光の都に選ばれるとともに、イランで最も発展した、しかも最も健全で美しい町としての地位を獲得しています。今回からは、この大都市の見所についてお話してまいります。それではどうぞ、最後までご一緒ください。
アジア大陸には、非常に多くの古代都市が存在しており、タブリーズもそうした歴史ある地域の1つです。この町の中心や、ここにあるブルーモスクの周辺で古代の遺跡が発見されたことから、アーザルバーイジャーン地域の中でもこの地域は、考古学者らの注目を集め、タブリーズは世界最古の都市の1つの仲間入りを果たしました。
このような発見がなされる前には、タブリーズの歴史はそれほど明らかにされておらず、この町が古代にすでに存在していた事を示す論拠は、紀元前8世紀のアッシリアの王サルゴン2世の碑文のみでした。しかし、ブルーモスクでの発掘調査により、タブリーズは青銅器時代やそれ以前にの時代のものとされる遺物が発見されたことから、この町が5000年以上の歴史を持つ事が明らかになっています。
歴史が示すように、アーリア人がイランに移住して来る前には、現在のイラン北西部にあたるアーザルバーイジャーン地方には様々な王朝が栄えていました。これについて、アメリカの文化人類学者リチャード・ネルソンは、『イランの古代遺産』という著作において、次のように語っています。
「アーザルバージャーン地方およびイラン西部においては、メディア人やその他のイラン系民族の多くは、フルリ語やウラルトゥ語など、インド・ヨーロッパ系以外の部族語を話していた」
タブリーズは、イランで4番目に大きい都市であり、イランの歴史や文化、経済において特別な位置づけにあります。この町は、東アーザルバージャーン州の誇り高き歴史の中心であるとともに、波乱万丈の歴史を潜り抜け、数多くの出来事に遭遇してきました。また、かつてはサハンド山の近辺にたたずむ小さな一集落に過ぎませんでしたが、その後のいくつもの王朝時代にはイランの首都に選ばれています。また、歴史を通して何度も大震災により破壊されましたが、この地域の人々の並ならぬ努力により見事に復興し、世界にその名をとどろかせています。
今日、大都市に発展したタブリーズは、イラン北西部における経済や行政、商工業、軍事。情報コミュニケーションの一大拠点にまで躍進し、国境地帯をはじめとするイランの領土の保全における重要性を増しています。また、この町の人々が世界最新鋭の可能性や手段を導入する先駆けとなっていたことから、タブリーズは先駆けの町としての異名をとり、自らの伝統や文化、歴史的名ルーツを維持しながらも、都市型の生活の質を向上させてきました。
1816年には、イランの印刷産業の父とされるミールザー・ゼイノルアーベディーン・タブリーズィーにより、アラビア文字とペルシャ文字による初の鉛版印刷工場が、タブリーズに建設されました。また、イランで初めての外国語の書籍の翻訳も、1819年にタブリーズにて、英語からペルシャ語への翻訳という形で行われています。さらに、子供向けの童謡に関する初めての書籍も、タブリーズにて出版されました。
ある都市の学術や文化面での最も重要な財産の1つとされるのは図書館や映画館だといえます。この点について、1921年にタブリーズに創設されたものはその最も高い位置づけにあるといえます。イラン初の映画館ソウリー映画館は、フランスの発明家リュミエール兄弟が映画を発明してわずか5年後に、タブリーズに設置されたものです。さらに、テヘラン初の映画館も、1926年にタブリーズ市民の1人アリー・ヴァキーリーにより開設されています。また、この人物によりその数年後にはイランで初となる映画関連の出版物が出版されています。
さらに、タブリーズは演劇の分野でもイランのほかの都市より先んじており、ガージャール朝のナーセロッディーンシャーの時代には、やはりタブリーズを出自とする、ミールザー・アーガー・タブリーズィーにより初の演劇が上演されました。
ほかにも、イランで初めての児童文学書の出版社ジャッバール・バーグチェバーン、そしてイラン初の聾学校が創設されたのもタブリーズです。そしてイラン初の幼稚園も、やはりタブリーズ出身の国会議員で作家でもあったアボルガーセム・ファイザートにより、タブリーズに創設されています。
タブリーズは、教育の分野でもイランのほかの都市に先んじており、イランでは初めて絨毯や看護額に関する大学、そして看護学の大学院博士課程が設置された都市でもあります。
「イランの名所旧跡を訪ねて」は、IRIB国際放送ラジオ日本語よりお送りしています。今夜は、イラン北西部・東アーザルバーイジャーン州の中心都市タブリーズについてご紹介しています。
タブリーズの人々が成し遂げた発展は、文化、芸術、教育の分野に加えて、医学の分野にも注目すべきものがあります。その例として、イランから外国に派遣された初めての医学留学生はタブリーズ出身であり、イラン初の医学書の編纂、翻訳、出版もタブリーズにおいて行われています。さらに、イランで初めて予防接種が行われたのがタブリーズであることも注目に値します。
タブリーズのクリップ映像
タブリーズはこうした特長とともに、この町独自の壮麗な構造や歴史、現代性、自然の美景、地元民の人種他文化面での特徴、絨毯や手工芸などのみやげ物といった特徴といった特徴をもつことから、イラン野各都市の中でも異彩を放つ存在となっています。
OICイスラム協力機構は、2015年から毎年、イスラム圏の観光の都を選定するプログラムを打ち出しました。この企画においては毎年、イスラム世界の観光モデル都市として、イスラ圏内のいずれかの都市が観光の都に選定されることになっています。ちなみに、2015年にはパレスチナの聖地ベイトルモガッダス・エルサレムがOICの票決なしで選出されました。これに続き、2016年にはトルコのコンヤが、そして2017年にはサウジアラビアの聖地メディナが選ばれています。(次の一文削除)
幸いな事に、タブリーズが2018年のイスラム圏観光モデル都市に選定されるに当たっては、多くの尽力がなされました。タブリーズ市長をはじめ、地元やメディアを挙げての広報活動、そしてその他の多くの人々がタブリーズの観光モデル都市への選出にかかわっています。(以下の文削除)
「イスラム世界の観光の都」という名目からも明らかなように、観光モデル都市の指標はその町の歴史や文化、宗教などとなっています。大都市タブリーズは、イランで最も現代化され、健全で美しく発展した都市として世界にアピールされています。これらの指標に注目する事はきわめて重要といえます。外国人観光客の多くは、タブリーズにある歴史的建造物や近代的なショッピングセンターなどを求めてやってくるのが普通であり、今回タブリーズがこの名誉あるタイトルを獲得しだ最大の要因は、この町の歴史や文化、社会、宗教面での経歴にほかなりません。
石油収入への依存から脱却するための、最大の収入源の1つは、観光収入といえます。タブリーズの歴史や文化、芸術を紹介し、イランやイスラム世界の文化面でのこの町の重要性をアピールすることは、さらんに多くの観光客にタブリーズへの訪問を奨励するものといえます。タブリーズが2018年のイスラム世界の観光の都に選定されるに当たって大きく影響した要素の1つとして、この町が国際絨毯都市に選ばれたことが挙げられます。
ラジオをお聞きの皆様、今夜はここで時間がきてしまいました。次回もどうぞ、お楽しみに。
この番組のほか、ラジオ日本語がお送りするそのほかの番組は、パールソトゥデイのウェブサイトでもご覧いただけます。
アドレスは、パールストゥデイ、ドットコム、スラッシュ、ジェイエーです。