コーラン第108章アル・カウサル章潤沢
今回は、コーラン第108章アル・カウサル章潤沢についてお話ししましょう。
慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において
アル・カウサル章はメッカで預言者ムハンマドに下され、全部で3節あります。神が預言者に多くの恩恵を与えたこと、神への崇拝と礼拝、生贄を捧げること、預言者の敵の消滅といった事柄について述べられています。
至高なる神は、自らの創造物を導くため、預言者たちと、その後、最後の預言者ムハンマドの後継者であるイマームたちに人々を導く任務を与えました。イスラムの預言者ムハンマドは神の最後の預言者です。彼はこの使命を果たそうとする中で、多くの嫌がらせを受けました。預言者は次のように語っています。「私ほど嫌がらせを受けた預言者は存在しない」
このような多くの嫌がらせにもかかわらず、イスラムの預言者は、唯一神信仰を広めることを一瞬足りとも怠ったりはせず、人類を幸福と道徳的な性質に導くことで、世界に大きな変化をもたらしました。彼以前の預言者たちは、預言者ムハンマドが現れることによって、宗教が完成すると知らせていました。それは永遠のものとなる宗教です。預言者ムハンマドは、ガディールの祝祭の日、娘婿であったアリーを自身の後継者として紹介し、それによって自らの使命を完遂しました。
イスラムの預言者ムハンマドには、妻のハディージャとの間に2人の息子がいました。一人はガーセム、もう一人はターヘルという名前で、ターヘルはアブドッラーとも呼ばれていました。しかし、2人とも預言者がメディナに移り住む前にメッカで亡くなり、預言者は息子を失いました。これに対し、家系の存続を男子によるものと考えていたクライシュ族の人々は、預言者に対して、「相続者がいない」という意味の「アブタル」という言葉を使いました。彼らは、預言者が亡くなれば、彼には息子がいないためにその計画もたち消えになると考え、そのことを喜んでいました。
神はこのような侮辱に対し、アル・カウサル章を下し、イスラムの敵の口を閉じさせ、預言者の娘のファーティマを通して、その恩恵に溢れた家系を存続させました。
「まことに我々は、汝に多くの善を授けた。そこで、汝の種のために祈り、生贄を捧げなさい。汝の敵は相続者を持たない」
アース・イブン・ワーイルは、多神教徒の首長のひとりでした。ある日、ワーイルは預言者がカアバ神殿・マスジェドルハラームを出るところに出会い、少しの間、預言者と話しをしました。そのとき、モスクにはクライシュ族の一団が座っていて、彼に、「誰と話しをしているのだ」と言いました。すると彼は、皮肉たっぷりに、「アブタルと話していた」と言いました。
そのとき、アル・カウサル章が下され、預言者に多くの恩恵や善を知らせました。この章は、預言者の敵たち自身がアブタル、相続者のいない人間となり、イスラムやコーランの計画は、預言者が亡くなった後にも決して絶たれたり、なくなったりはしないとしています。この章で伝えられている吉報は、イスラムの敵の希望を打ち砕くと共に、多神教徒の誹謗中傷や侮辱を聞いて傷つけられていた預言者の心を慰めるものでもありました。
カウサルという言葉は、幅広く包括的な意味を持っており、「多くの善や恩恵」を意味します。しかし、コーランの解釈者や宗教学者の多くは、この言葉を最も如実にあらわしているのが、預言者の娘、ファーティマザハラーの存在だとしています。この偉大な女性は、崇高な美徳を備え、イスラムの普及に大きな役割を果たしました。預言者ムハンマドは、ファーティマを現世と来世の2つの世界の女性の模範だとしています。
一部の人々は、カウサルという言葉を、預言者の使命と解釈しており、また、コーランそのものを指すとする人々、教友や仲間の多さ、子孫の多さを意味すると解釈する人々もいます。ここで言われる子孫とは、皆、預言者の娘であるファーティマの血をひく人々であり、預言者の子孫であっただけでなく、彼の教えやイスラムの全ての価値観を守り、未来の人々に伝えていきました。スンニー派の著名なコーラン解釈者は次のように語っています。
「アル・カウサル章は、神が預言者に、時代を通して存続していく世代を与える、という意味を持っている。バーゲル、サーデグ、レザーとシーア派のイマームたちを産んできたファーティマの世代以上に、恩恵に溢れた世代があるだろうか。ファーティマの子孫の多くは、歴史の中で、特にウマイヤ朝とアッバース朝の時代に殉教していったが、それでもなお、現在、その子孫は多くのイスラム諸国に広がっている。こうした中、ウマイヤ朝からは、世界に名を残すような人物は出ていない」
神はこの恩恵を守るために、預言者ムハンマドに対し、崇拝行為を増やし、礼拝を行い、生贄を捧げ、人々に施しを利用するよう求めています。