9月 05, 2018 20:31 Asia/Tokyo

今回も前回に引き続き、イラン北西部の大都市タブリーズにある旧邸宅などの歴史的な建造物の一部をご紹介してまいりましょう。

タブリーズの旧市街、すなわち大モスクに面したこの町のグランドバザールの西側には、この町の最大の誇りとなる最もよく知られた旧邸宅が存在しています。この邸宅の第一印象はまさに、ガージャール朝式の建築そのものであり、玄関口を見上げると、「立憲革命の館」という表示が目に付きます。

200年ほど前の立憲革命におけるタブリーズという町の位置づけや、この館がこの運動に果たした役割に注目し、この館は1996年に立憲革命博物館とされ、立憲革命時代やこの運動の指導者に関する貴重な品々や史料が展示されています。

 

 

 立憲革命の館は、タブリーズ市内にあるガージャール朝時代の建造物とされています。ここは、1908年にガージャール朝の為政者モハンマド・アリーシャーにより議会が砲撃された後、サッタールハーンやバーゲルハーンといった著名な立憲革命運動家、そしてアーザルバーイジャーン地方で立憲革命を求めていた人々が集結する拠点となり、11ヶ月間に及んだタブリーズの戦争では、立憲革命を求めて戦う人々の会議の場所、かつ司令部となりました。

立憲革命の館は、1868年に建設されました。この建物の所有者は、自由を求める著名なある大商人で、タブリーズ市内での立憲革命運動の呼び声の高まりとともにこの運動に加わり、立憲革命に対する資金面での最も主だった支援者となりました。この大商人は、立憲革命の指導者らの会議の結成や、ガージャール朝に反対する公示やビラの印刷のために、この館を立憲革命を求める人々に提供したのです。

 タブリーズ市内にある立憲革命の館

 

立憲革命の館は、ガージャール朝時代の建築様式による2階建ての建物で、床面積は1300平方メートルに及び、石材やレンガ、そして日干し煉瓦でできています。

この館の内部に足を踏み入れると、まずは美しい中庭が目に付きます。この中庭の中央には、大きな池が設けられ、敷地内に植えられた美しい花や芝生が、独自のみずみずしさを醸し出しています。高さのある4本の柱の柱頭には、石膏を下地とする美しい浮き彫りが施され、室内には鏡張り細工や色鮮やかなガラスによる装飾がなされています。

この建物の地上階には、6つの部屋と玄関ホールがあり、2階には大きな広間があります。また、ここに取り付けられている窓はすべて、大型でオルスィーと呼ばれる特別なステンドグラスとなっており、赤、緑、白の三色のステンドグラスを通して室内に入ってくる色鮮やかな光が、絶妙な光景を生み出しています。

ガージャール朝時代の建築様式の特徴として、ぱっと目を引く装飾、複数の柱で屋根が支えられ、ヨーロッパの帽子と呼ばれる、蓋を被せたような独自の外観を生み出していること、石膏を下地とする浮き彫りが最上部に施された複数の柱が存在すること、オルスィーと呼ばれる独自のつくりの窓が取り付けられていること、ステンドグラスを通して、室内に色鮮やかな光が入ってくる事などです。これらの特徴はいずれも、イラン人の趣向や芸術をアピールしており、他にはないシンボルの一例となっています。

この建物の最も興味深い最高の見所は、2階の玄関ホールで、中庭に面し玉座と呼ばれる部屋です。ここには、色ガラスをはめた格子窓や扉が取り付けられています。また、この部屋の両脇にも1つずつ部屋があり、これらの部屋の天井は木製で、八角形の精巧な装飾が施されており、木製の扉にも草花をあしらった唐草模様による装飾がなされています。

 

立憲革命博物館は、広間やそれ以外の部屋の模様替えの後、イランの立憲革命に関する史料を展示する目的で博物館としてオープンしました。

この博物館には、サッタールハーンやバーゲルハーン、アーホンド・ホラーサーニー、アリーアクバル・デホダー、さらには立憲革命運動に加わった唯一の女性ゼイナブ・パシャといった、立憲革命の偉人たちの彫像のほか、革命の様々な勢力の印章が展示されています。

 

立憲革命の館

 

 また、この博物館では、ガージャール朝のモザッファロッディーン・シャーやモハンマドアリー・シャーなどの為政者や立憲革命の反対派の人物の写真、立憲革命時代の夕刊紙の大量印刷に使われた印刷機、さらには立憲革命や新憲法の制定命令に関する資料映像が収蔵されています。

立憲革命博物館に収蔵されている最も重要な品々として、この革命の推進にかかわったサッタールハーンの短銃や、この革命運動の指導者らの個人的な遺品、そしてこの革命に関係のある書類などが挙げられます。

 

それでは引き続き、イラン北西部タブリーズ市内にある歴史的な建造物をご紹介してまいりましょう。

 

タブリーズ市内にあるもう1つの旧邸宅として、ヘイダルザーデの旧宅が挙げられます。この建物は、タブリーズ市役所建物の南側に位置しており、1870年ごろに建設されました。また、総面積はおよそ900平方メートルで、2階建ての構造となっており、2つの庭があります。

タブリーズ市内のヘイダルザーデ邸

 

ヘイダルザーデ邸宅の地下階には、レンガでできた自家用の池があります。この邸宅のその他の部分は、広間を通して互いにつながっており、彫刻の施された木製の窓には色とりどりのガラスがはめ込まれ、また絵画などで装飾されています。なお、この邸宅の数ある部屋の中で最も魅力的なのは、玉座にあたるメインルームです。

ヘイダルザーデの邸宅は、2001年に改修工事が行われ、現在では東アーザルバーイジャーン州とその中心都市タブリーズの観光情報センターとして利用されています。また、この邸宅の周辺には、サルマースィー邸宅やベフナーム邸宅など、数多くの由緒ある邸宅が存在します。

 

ヘイダルザーデ旧邸宅内部の様子

 

タブリーズ市内にあるもう1つの歴史的建造物に、ベフナームの旧邸宅があります。これは、ザンド朝時代末期からガージャール朝時代にかけてのもので、かつては居住用に使用されていました。しかし、ガージャール朝のナーセロッディーンシャーの時代に新改築され、数多くの絵画による装飾が施されました。

ベフナーム旧邸宅

 

 

ベフナーム邸宅の最近の修復工事においては、数多くのイラン式のフラスコ画が発見されています。この邸宅の総面積は3000平方メートルに及び、2階建てで大きめのメインビルは冬に、そしてそれ以外の小さい建物は、夏用に利用されていたという事です。

この邸宅は、建築様式やそこに施されている装飾、そして建物の完成度の高さなどの点から、特に重要で専門的な研究の題材に値する居住用の建物の1つとされています。

 

ベフナーム旧邸宅

 

現在、ガージャール朝時代の建築様式によるベフナームの旧邸宅は、広間のほかに池やメインルームの両側に設けられた部屋、廊下で構成され、ガージャール朝時代の絵画による装飾がなされており、建築・都市建設学の知識の拠点とされています。

 

タブリーズ市内の由緒ある邸宅として、ほかにはハリーリーの邸宅が挙げられます。この邸宅も、ガージャール朝時代に建設されたもので、壁全体に美しい絵画が描かれており、中庭と外庭があるほか、2つに分かれた建物があります。

ハリーリーの邸宅を構成する建物は、いずれもイスラム教徒の礼拝の方角であるキブラの方向を向いており、建物の外壁は美しい絵画で装飾されています。これらの絵画の題材となっているのは、預言者ユーソフとゾリーハーといった古い伝説や、そのほかの歴史的な物語をヒントにしたものです。この邸宅は、2016年にタブリーズ出版・印刷・外交博物館となりました。

 

 

 タブリーズ旧市街の価値ある邸宅には、他にもサルマースィーの邸宅があり、現在ここは古い計測機器などを展示する計測博物館として利用されています。この建物は、タブリーズ市役所の建物の近隣に位置し、ガージャール朝時代のはじめに、3角形の中庭のほか、床面積が870平方メートル以上に上る2階建ての建物とともに建設されました。

この博物館には、竿ばかりや貴金属の重量を計測する天秤、イラン国内外の古風で美しい時計の数々、そして天文学や気象学などに関する計測機材が収蔵されています。

 

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