誰が、“神について多くを質問してはならない”と言いましたか?
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アッラー
Q:神について多くを質問することは、好ましくないことなのでしょうか?
A:
一体、誰が“神について、多くを質問してはならない”などと言ったのでしょうか?
質問することに制限はありません。
疑問に関する正しい回答に辿り着くまで、私たちは神について、その他の宗教的な数々のテーマに関して質問し、追跡し続ける権利があります。もちろん、回答を得るまで少し耐え忍ぶ必要はあります。
しかしそれは、神学者や学者と研究者の方々に私たちの質問を投げかける権利がない、という意味ではありません。
まったく誤りのない尊敬すべき“聖預言者ムハンマド(SAW)”とその娘“ファーティマ(SA)”そして、12人のイマームたち(AS)の時代の人々も、神について頻繁に彼らに質問していました。
尊敬すべき彼ら“14名のマアスウム(AS)”は快く人々の質問に応えていました。人々の数多い質問についていかなる時でも、彼らが苦情を述べることはありませんでした。
ジャマルの戦いの戦火において、一人の男がシーア派初代イマーム アリー(AS)を訪ねてきて、イマームに対し神に関する質問の回答を求めました。イマームの戦友たちは、「この苦しい危険な状況にあって、質問などする時か?!」と、その男を非難しました。イマーム アリー(AS)は戦友たちが続ける非難を制し、完全に辛抱強くその男の数々の質問に回答しました。
神、最後の審判、クルアーン(コーラン)、救世主であり時のイマーム(指導者)であるシーア派12代目イマーム マハディ(AJ)、ヒジャーブ(イスラム教徒の女性が身を包み隠すためのスカーフやベールなど)、タウバ(悔悟)、罪そしてそのほかの宗教的テーマについて、私たちは質問をする権利があります。
しかし、以下に示す点につい注意しなければなりません。
①質問の回答を得ることについて、決して性急であってはなりません。
②たとえある種の質問の回答を得るには、より多くの継続的な追跡と努力が必要であるとしても、いかなる質問にも答えがあることを知らなければなりません。
③自分の質問への回答を“宗教問題の教師、聖職者、と研究者”に求めましょう。なぜならばこれらの人々は他の人よりも“より良く、より正確に”あなたの質問に回答することが出来るからです。
④一部の質問にはいくつもの回答が存在します。もしある回答があなたを納得させることが出来なかった場合、焦らずに質問を少し継続することで、あなたは別の回答に辿り着くことが出来るでしょう。
⑤かれ(神)御自身とかれの教えを知る道において、常に神の助けを求めましょう。疑いなく、かれは拒否したり惜しんだりすることなく、あなたを助けてくださいます。あなたの求めについてかれが無回答でおられることはありません。
⑥イルム(知識)の追求の道には終わりがありません。ひとつの質問に対する回答を得ると同時に、新たな質問があなたに提起されます。質問自体、私たちがより多くの知識を手に入れることを余儀なくする“一つの恩恵である”ということが出来ます。質問が終わるなどと言うことを、決して期待してはなりません。
質問のゴール、知識のゴール?
知識には限界(終わり)がありません。
ひとつの質問に対する一つの回答を得ることで、あなたの知識は一段階上がります。あなたはより高い知識への階段を、一段一段規則正しく上ってゆかなければなりません。そして“この階段には終わりがない”ということも知らなければなりません。
最後にハディース(伝承)を一つ紹介しましょう。
聖預言者ムハンマド(SAW)は仰いました:
「揺り籠から墓に至るまで知識を求めよ。」
つまり、私たちには生涯知識の入手に努力する義務があるのです。
http://ja.abna24.com/cultural/god/archive より
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