ランツェルさん
「私たち人間は、本質的に唯一の神を信仰する存在です。仮に、この真理に気づきたいと思わなくとも、それでも心の中の声が私達を神の方向へと惹きつけようとします。残念ながら、西側世界では多くの問題に直面していますが、それは、一部の人間がその声に耳を傾けず、物質的なものにおぼれてしまっていることにより、精神的な事柄を忘れていることに起因します」。
これはオーストリアの若い男性、ランツェルさんの言葉の一部です。
ランツェルさんが指摘している真理とは、人間の内面が宗教信仰、特に神の存在を信じることを必要としており、人生の中でそれが必要であるという真実です。人間の生活における精神性の存在とは、否定ができないものであり、精神世界での安息がなければ、人間の精神は崩壊します。人類にとっての最も素晴らしい宗教的な恵みとは、神に対する信仰であり、それによって幸福な人生を送り、安らぎを得ることができます。人間は本質的に、自分の幸福を求め、悪いことや恵まれない状態を伴う将来を心配するものです。しかし、神への信仰は人間に潜むこの心配を払拭してくれます。なぜなら、宗教的な信仰は、世界は目的をもって創造され、無意味に作られたのではなく、人間がこの世で行う言動には全てそれに対する報いを伴うものであり、良い行いをする人の報酬が無駄になることはない、という真理を明らかにしているからです。これは宗教を信仰することで作られる世界観であり、人間は、この世界観により創造世界のシステムの将来に対して、楽観的になるのです。
残念ながら、現代の物質的な文化は、この肯定的な観点を人々の心の中から奪ってしまっています。また今日、人間は唯一の幸福の道とは数限りない物質的な欲望を満たすことだとし、人間は死によってその全てが消滅することになる、という考え方の中に封じ込められた状態にあります。宗教や精神性が存在しないこのような思想では、たとえ物質的な豊かさを生活の中で得られたとしても、裏側では満足感を感じることはありません。そうした状態では、常にある問題がその人を悩ませ、人生をその人にとって苦痛なものにするのです。
ランツェルさんはこれについて、次のように話してくれました。
「人々が苦しんでいるのは、あらゆる可能性や権利を持っていながら、むなしさを感じているということです。彼らは、経済的な観点においてはよい生活を送っています。しかし精神的な観点からは、大きなむなしさに巻き込まれています。色々な問題の根源は、私たちの一部が自分たちの本質の声に注目していないという現実に帰結する、と私は考えています」。
ランツェルさんも、あるとき、むなしさに苦しみ、自分が物質的な日常生活に満足していないと感じ、心の渇きを癒す真理を求めるようになりました。彼は、こうしてイスラム教に出会いましたが、自分のイスラム教との出会いは、1979年に勃発したイランのイスラム革命に負うところが大きいとして、次のように語っています。
「イランイスラム革命が光り輝き、まだ世界でこの光が見られることは、疑いようのない事実です。私はこの時代に生まれ、イラン・イスラム革命を理解できたことについて、神に大変感謝しています。この革命が世界全体に巻き起こした旋風により、西側の人は宗教に関心や傾倒を見せるようになりました」。
ランツェルさんは、西洋社会の現在の問題について分析する中で、次のように語っています。
「物質的な生活は、どのような側面においても、またそのあらゆる表面的な魅力をもってしても、人間の精神を満足させることはありません。西洋人は、現在機械的な生活に疲れています。西側世界は、いわば病気なのであり、この病気の治療薬とは、宗教信仰にほかなりません。たしかに、西側世界の同情的な一部の思想家は、かなり前からこれについて警告を発していましたが、誰もこの警告には注目しませんでした。その結果、今日西洋社会全体に腐敗や制限のない状態がはびこるようになり、全ての物が内部から朽ち果ててしまったのです」。
現在の状況において、物質的なものに取り囲まれた人間を助け、その人をより高次の世界に結び付けられるものは、宗教や宗教的な信仰です。宗教とは、神の預言者が人間を導くために神から預かってきた、人生の為の計画や信条などの集合体です。宗教は、私達が人生において好ましい生き方をし、責任感を持ち、他人の幸せを願い、しかも自分たちの権利を守るよう求めています。私達は自分の権利の侵害をすることは許されず、また他の人の命や財産を奪うことも許されません。宗教は私たちに対して、人生において私たちや社会の人々にとってよい行いをし、腐敗や犯罪につながる為を遠ざけ、神への崇拝行為として、神の僕であることや神への服従を示す礼拝などを行なうよう勧めています。
この勧告に少々注意すれば、宗教が個人や社会の健康的な生活を望んでいるということが分かります。しかし残念ながら、過去1世紀間の、人間の一方的な進歩の結果が害悪となり、人間は宗教や精神性から遠ざかったというべきでしょう。確かに、技術的な進歩はよい結果を生み出したとはいえ、人間は精神的な奥深いニーズを考慮しなかったことから、補うことのできない損害をもたらしました。西側諸国は、快楽主義と自己のアイデンティティの喪失に走り、宗教がもたらす安らぎのもとで緩和されるべき自らの精神的な弊害を癒すために、人工的で無意味な多くのものに救いを求めてしまいました。しかし、それらはいずれも人間を救い出すことができなかったのです。
多くの精神医学者の見解では、宗教を持たない人の中に多くの精神病患者が見られ、宗教を持っている人はその信仰心が強ければ強いほど、こうした精神病から守られるとされています。イギリスの作家、エルネスト・ルナンは宗教史に関する著作の中で、次のように記しています。
「いつの日か、私の好きなものの全てが消滅し、私により多くの快楽や最高の恩恵となっているものは消失してしまうだろう。しかし、宗教に対する関心を打ち砕いたたり、禁止したりするのは不可能であり、むしろそれはずっと残るだろう。これにより、私の存在の中で、物質主義が無効であることが証明されるだろう。即ち、人間の崇高なる思想という、こうした神の恵みを物質的な生活という低俗な窮地に制限し、縛り付けようとする原理は、無効とされるのである」
ランツェルさんは、神によるこの恵みをイスラム教の中に見出だしており、これついて次のように話してくれました。
「イスラム教は、あらゆる側面において人間の必要性に答えることのできる宗教です。イスラム教は、本質や理性に合致したイデオロギーや世界観をもって、人間の生活を正しく捉え、最も素晴らしい方法で、創造主と創造物の間に精神的な関係を築き、渇いた心を癒します。私の考えでは、オーストリアの人々はイスラム教への理解を強く必要としています。彼らは多くの問題に苦しんでおり、彼らを救うのはイスラム教しかありません」。
ランツェルさんは、他の社会における西側の破壊的なプロパガンダに注目し、次のように語っています。
「現在、文化的な侵略は若者を脅かす最大の問題となっています。西側世界は、プロパガンダ活動において最新の方法をとっており、若い人の内面に破壊的な影響を及ぼしています。彼らは、物質的な欲求を特別な形で強調しており、映像や音楽、そして若者が強く傾倒されるその他の手段によって西側の文化を広めています。このため、若者は望まない形で西側文化に引き付けられているのです。私はイスラム教が芸術と魅力に溢れる世界であり、もしこれに少しでも注意を払えば、イスラム教の基準にそった映画や音楽を通じて、若者に対し最も大きな影響を与えることができると考えています」
ランツェルさんは最後に、このように話してくれました。
「今日、イギリスの作家、バーナード・ショウが予測した兆候を見ることが出来ます。彼は、イスラム教が世界的な宗教になると予測しました。現在、欧米諸国の人々がイスラム教に傾倒しているのは、この予測が正しいことを物語る明らかな例です。私は、バーナード・ショウの著作の中で、『ムハンマドが信仰しているものは、未来のヨーロッパ人に受け入れられるだろう』という一文を読んだことがあります」。
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