11月 09, 2019 13:32 Asia/Tokyo
  • ハージェアブドッラー・アンサーリー
    ハージェアブドッラー・アンサーリー

今回も、前回に引き続き、11世紀のイランの著名な神秘主義者、コーラン解釈者、文学者のハージェアブドッラー・アンサーリーをご紹介することにいたしましょう。

前回お話ししたように、アブドッラー・アンサーリーは1005年、イラン北東部の町トゥースで生誕しました。また11世紀と12世紀には、イラン北東部のホラーサーン地方はイスラム神秘主義やイスラム学の中心地であり、重要な図書館が存在していました。この繁栄した地域には、イラクや中央アジアから神秘主義の巨匠たちが大勢やって来ました。さらに、この地域では逸脱や異端に対抗し、イスラム法や修行の方法を集大成したホラーサーン派の神秘主義の基本が打ち立てられました。

ホラーサーン派の神秘主義に対して、アンサーリーが行った最も重要な貢献は、神秘主義に基づく修行の目的や階級を成文化し、新たな階級付けを定めたことです。この階級付けの特徴は、修行者の心情面の質や開眼の度合いのみならず、その人のモラルや日常生活の習慣なども加味され、修行者には日常生活とのつながりを維持することに加えて、精神性のある行動様式を持ち、イスラム法にそった修行の方法をとることが求められていました。

 

アンサーリーは、イスラム法に溶け込んでいました。彼は、イスラム法を通じて真理に至る方法を求めており、自らの門下生たちにもこのことを伝授していたのです。また、宗教の原則や枝葉末節に非常に拘泥しており、彼の手記には彼が常に勧善懲悪を実行していたことが記されています。アンサーリーは、イスラム法の掟を実行することこそ、修行や品行方正の基本的な条件であると見なし、宗教的な命令を軽視する神秘主義者には徹底的に対抗していました。彼は、この点について、美しい散文形式の作品により、次のように述べています。

「英知や常識とは、狂信状態をさらけ出すことであり、尊厳とは、スタイルを売ることである。正しい行いをすることは、救われることであり、独占行為は神秘主義においては神を信じないことと見なされる」 

アンサーリーはまた、神秘主義の実行とその原則の定着化に当たって、理性や論証を遠ざけており、真理を証明する上で論拠や言葉を信じず、イスラムの聖典コーランを唯一の典拠、そしてイスラム教徒の神秘主義の師匠であると考えていたのです。

アンサーリーは、押韻のある散文においても傑出しており、彼はペルシャ語の一種であるダリー語により、押韻のある散文作品を執筆した初の文学者とされています。文学史を記した歴史家たちの間では、アンサーリーは初めて作品のテーマに応じて2つの散文の間に詩を挿入するというスタイルを取り入れ、彼の後に抒情詩人サアディがこれを最高のレベルに仕上げたと考えられています。

 

散文形式の研究を専門とするモハンマド・タギー・バハール教授は、次のように述べています。「アンサーリーが取り入れている押韻作品は、ある種の詩である。なぜなら、彼が用いている表現の多くは、時にはサーサーン朝を起源とする押韻や、八つの音節を持つ詩を模倣した対句となっているからである。これらの詩は、アラブ人も古代の詩文において模倣している」

イランの現代詩人ホセイン・アーヒーは、次のように述べています。

「アンサーリーの散文作品は事実上、人々の集まりの場で語る神秘主義者や説教師の語り口であり、預言者として派遣され、作られた散文であると見なすことができる。そこに収められている詩には、ある種の韻律や雰囲気が感じられる。アンサーリーは、確かに多くの場合において、脚韻を用いることでこの韻律のある散文を詩文に近づけようとしているが、韻律を取り入れるだけに留まり、脚韻を踏んでいないケースが非常に多く見られる。時には、彼の使っている言葉は、脚韻を踏み音節の決まった詩のようになっている」

 

アンサーリーは、詩も吟じましたが、彼の作品とされる韻文形式の詩作は残っていません。彼の詩作については、彼の残した祈祷の詩文しか評論することはできないのです。これについて、一部の研究者はこれらの詩がオリジナルのものであるか否かについても、疑問が残るとしています。いずれにせよ、アンサーリーは自らも述べているように、幼少時代から詩を吟じる才能や情熱を抱いていたのです。

アンサーリーによる韻文形式の詩作は残っていませんが、現存するわずかな作品から、彼の詩作について評論することは可能です。アンサーリーは芸術的な視点から、押韻のある散文、即ち詩文が混合している散文で有名であり、学術の面でも特別な伝承学において彼の基本的な人格は名声を博していました。彼は、確かに当時の偉大な詩人の域には達していませんが、全ての研究者の間では、アンサーリーが詩作の中に、読者や聞き手を興奮させる情熱にあふれた文体を盛り込んだとして、意見が一致しています。

芸術や文筆におけるアンサーリーの名声と評判は、むしろ彼の残した祈祷文によるものであり、押韻が含まれ心を揺さぶる散文が、ペルシャ語により記されています。神秘主義の分野における彼の最も重要な作品は、1082年にアラビア語で書かれた『人々の路程』であり、この著作においては真理に到達するための行動や道筋の100本の路程が解説されています。また、1056年にペルシャ語で書かれた著作『100の広場』は、実際には先にご紹介した著作『人々の路程』のための前段階的な計画書といってもよいでしょう。

 

アンサーリーのそのほかの作品には、『神秘主義の作法の概略と真理の道の品行』があり、これらの作品はペルシャ語で執筆されています。この作品は、1960年にエジプトのカイロで出版されました。アンサーリーはまた、アラビア語により『イスラム神学者アフマド・ハンバルの功労』を執筆しており、この著作は現在のイラク・バグダッドの図書館に収蔵されていると言われています。また、彼は品行と行状に関する定義や教えについての百科全書も著しており、さらに神のもとに向かう品行の階級を説明した著作も残しています。

さらに、アンサーリーの作品とされているものには、『祈祷の書』、『忠言の書』、『神秘主義者の旅の糧』、『修行者の宝物』、『托鉢層の書』、『7つの城壁』などがあります。また、彼の残した論文の内容は、彼自身の忠告や訓戒などとなっており、美しい詩文が混ざっています。

 

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