6月 14, 2020 12:32 Asia/Tokyo
  • ムハンマド・ビン・ジャリール・タバリー
    ムハンマド・ビン・ジャリール・タバリー

今回は、前回に続いて、9世紀のイランの歴史家で、コーラン解釈者のムハンマド・ビン・ジャリール・タバリーについてお話しましょう。タバリーは『タバリー史』といった、重要な歴史書や解釈書を記しています。

前回お話したように、タバリーは838年、イラン北部のアーモルに生まれました。彼はその聡明さにより、大変幼くして初等教育を学び終えてしまいました。タバリーは12歳のころから、父親に奨励され、より多くの学問を学ぶため、旅をしました。

タバリーは知識を学ぶため、イラン中部のレイやイラクのバグダッド、シリア、エジプトに一時期滞在し、高名な哲学、イスラム法学、ハディース学の大家に学び、バグダッドで生涯を終えました。タバリーはバグダッドでイスラム法学、歴史、ハディース学を修め、教育活動も行い、また貴重な著作を記しました。

タバリーは923年2月、バグダッドにて死去し、自宅に埋葬されました。

タバリーはイスラム時代の高名な歴史家ですが、彼の主な業績はイスラム法学の分野であり、最も名声を博したのはこの分野でした。10世紀の著述家、イブン・ナディームは、自身の書で、彼をシャフィーイー、マーリクなどの当時の法学の大家と並び立つとしており、一方で、タバリーの同時代の著述家、ダーウード・ビン・アリーは、歴史の分野において、タバリーの名前を挙げていません。

タバリーの歴史学、解釈学に関する重要な著作は、彼がハディース・伝承の収集において幅広い活動を行っていたことを示しています。彼が長い旅で集めたハディースは、その記憶力により、彼の著作の中に数多く記されています、

伝承学に関する彼の著作は、彼のハディースや言行録における見解を収集しており、自身の法学がたぶんに独立したものであることを証明しています。その一部がシーア派の見解と一致しているため、一部の人は彼をシーア派だとしているのです。

タバリーは自身の著作において、学術的な問題に対する自身の見解を示し、シーア派では重要なガディールの伝承について誰かが否定するのを聞いたとき、この伝承を伝えた経緯に関する大作を記しました。

イランの名声、世界的な栄誉は、IRIB国際放送ラジオ日本語よりお届けしています。今夜の番組では、9世紀の歴史家でイスラム法学者のタバリーについてお話しています。

タバリーは、イスラム文明がその力とエネルギーを人類の歴史の中で示すのに必要な準備を行っている時代に生きました。彼の時代は、多くのイスラムの思想家が、さまざまな学術分野で、研究活動に従事し、イスラム文明の繁栄の下地を作り出しました。

この学問の中で、伝承学は当時、最も人気のある学問のひとつで、これはイスラム法学、解釈学また、歴史学を実り多いものにし、また宗教学の中心とみなされていました。バグダッド、クーファ、バスラ、シリア、エジプト、レイ、イラン北東部ネイシャーブール、そのほかの地域の宗教学会では、ハディース学者で満ち溢れており、宗教的な文化やイスラムとイスラム教徒の思想の遺産を守るものでした。また、より多くの伝承や包括的な情報を得るために、ほかの都市を旅していました。

こうした中で、さまざまな法学派や解釈学派が、自身の見解を広めようとしており、このため、本や論文などを幅広く記していました。多くの伝承や法学原理などが記され、それぞれの法学派は、この中で、他の法学派からぬきんでるために、より多くの伝承を集めていました。そして、その独自の見解を証明しようとしました。

この過程で、法学や信条に関する宗派間の論争は、法学や宗教的関係の面で、学者個人の活動において決定的な役割を持ち、制限を設け、さまざまな法学や宗教思想に関するテーマを提起することで、研究のために、特定の形式や方法を思想家に強要しました。イブン・ナディームは、130冊以上の本を、自身のリストに記載しています。

タバリーは、多くの著作を記している思想家です。そのすべてをこの番組で紹介することはできません。12世紀の地理学者、ヤークート・ハマウィーは、著作の中で、タバリーの作品のインデックスを記しています。この中に数々の作品が記されていますが、この中で、今の時代まで残っているのはわずかです。

英訳版の『クルアーン章句解釈に関する全解明』

これらすべての著作の中で、『クルアーン章句解釈に関する全解明』と、「タバリー史」として知られる『諸使徒と諸王の歴史』が、2つの著名な作品として、名声を博しています。『諸使徒と諸王の歴史』は、世界史と、イスラム史の2つの部分に分けて記されています。世界史は、現世の創造から、915年ごろまでについて記されています。この本がいつ記されたかについては、明らかではありませんが、証言やタバリーの言葉から、『クルアーン章句解釈に関する全解明』の執筆の後、つまり、903年以降に記されたと考えられます。

また、タバリーは、この歴史書を書く中で、法学者、宗教学者だったことから、明らかにその宗教的、政治的、そして法学者としての影響を受けています。この歴史書はその情報の点から大きな価値を有しており、もっとも古い世界の歴史書のひとつとみなされています。しかし、タバリーの宗教的な信条により、一部の思想家は、歴史を語る上で中立ではないとして、批判しています。

タバリーはまた、詩においても名声を博しており、文学を愛していたことから、この作品は文学的傑作とされています。タバリーが歴史書を記した目的とは、現世の創造から同時代までの世界の歴史をしるすことにありました。

 

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