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ペルシャ語の広がり
9月 14, 2019 10:22ペルシャ語はサーマーン朝時代、民族語と見なされていましたが、イランのトルコ系の為政者によって公用語となりました。また、イスラム世界の様々な人々や文化のなかで使われている語彙や概念を受容することができたため、国際語としての力を示したのです。12世紀には、広大なイスラム世界の多くの地域が、イランの文化の影響を受けていた、トルコ系王朝の軍事的、政治的な支配下に置かれました。これらの為政者により、ペルシャ語は中国からインド、現在のトルコに当たる小アジアまで広がり、最も権威のある国際語の1つとなりました。ペルシャ語の影響は、インドといった一部の地域にまで及び、そうした地域の詩人や作家がペルシャ語による作品を世に送り出していました。
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国際語として完成された古いペルシャ語
9月 13, 2019 20:47イラン人によって整備され、使用されるようになった学術的、文学的なアラビア語は10世紀から11世紀ごろの時期まで、もっぱらイランの文化人たちの中で、専用言語として使われていました。しかしこの時代以降、古いペルシャ語であるダリー語が次第に文化的、学術的、文学的な言語となりました。イランの文化人はこの学術的な言語を発展し、完成させることで、その後この言語を国際的な言語にしたのです。ペルシャ語の発展と平行して、アラビア語は次第にそれまでの影響力や包括性を失い、イランの文化人たちの間では、ペルシャ語がアラビア語にとって代わるようになりました。
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ペルシャ語、イラン文化の類まれな特徴
9月 11, 2019 08:56言語とは、あらゆる文化にとって決定的で重要な要素の1つです。文化の最も重要な要素で、後の世代に文化を伝達する手段であるため、言語は文化の存続の中心的な役割や機能を果たします。言語の盛衰や変化は、実際に1つの文化的な社会が見てきた、様々な教えや経験を反映しているのです。このため、言語の変化の調査は、あらゆる文化的な社会が生活環境と社会的な関係において示している反応や状況を調べる方法のひとつなのです。
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イランの文化における追悼、追悼儀式
9月 08, 2019 23:11モハッラム月はシーア派3代目イマームホサインの追悼儀式が行われる月です。今回は、イランの文化における追悼、追悼儀式についてお話しすることにいたしましょう。
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イラン文化の影響
9月 08, 2019 07:54トルコ系の人々は、部族的なつながりや所属性がない中で、イランのソルターン、つまり君主のように行動し、また一部の人々は、自分がイラン系であることを示すために、イラン人の家系図を偽造しようとしたのです。新たにイスラム教に改宗したセルジューク朝のトルコ系のイスラム教徒は、当初は牧草地が少なかったことから、またイランの北の境で侵入者を防ぐという約束で、イランに入ってきました。しかし、ガズナ朝が弱体化したことで、トルコ系のイスラム教徒が権力を掌握しました。彼らは結果的に、中央アジアのハーラズムやトランスオクシアナを繰り返し攻撃して、この地域を制圧し、最終的にガズナ朝のマスウードを敗北させ、広大なイラン高原の支配権を手にしました。
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アーシュラーにおける音楽的影響
9月 07, 2019 16:56シーア派3代目イマーム・ホサインが殉教したモハッラム月10日、アーシュラーでは、イスラム教徒、特にシーア派の人々は、この日イマーム・ホサインを偲ぶ儀式を行います。
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世界におけるイランの人々の役割(2)
9月 07, 2019 07:48前回は、イランの文化的な影響の地理的な範囲が、イスラム以前の時代には世界のおよそ半分に及んでいたことについてお話しました。また、サーサーン朝が崩壊し、イランの人々がイスラム教を受け入れたことから、この範囲は縮小しなかったのみならず拡大しました。イランの人々は、ウマイヤ朝時代とアッバース朝時代に重要なポストを獲得し、世界の最も遠い場所までその勢力範囲を広げたのです。
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イラン各地のモハッラム月の行事
9月 05, 2019 14:30今回は、シーア派3代目イマーム、ホサインの追悼期間に際した伝統的な行事をご紹介しましょう。
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世界におけるイランの人々の役割
9月 02, 2019 10:05サーサーン朝がアルサケス朝に代わって台頭しても、広大な土地におよぶイランの支配に重要な変化はなく、イランは過去のように、当時の文明世界の半分を治め、また世界の西半分はローマ帝国によって統治されていました。この時代、中央アジアのオキサス河流域のマーワラーアンナフル地方、即ちトランスオキシアナと呼ばれる地域でも、とりわけサマルカンド、ブハラなどに集住していたイラン系のソグド人が、中国西部のトルキスタンにおいて文化的、商業的活動を導いていました。それらの多くは、イラン文明から直接的な影響を受けていました。この時代、中国のトルキスタンは実際には、イランの外縁部の一部だったのです。
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モハッラム月の追悼週間に際した追悼歌
9月 01, 2019 23:59追悼歌の巨匠、ハッジ・マフムード・キャリーミーによる、若者の血を赤いチューリップにたとえた歌です。