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世界におけるイランの人々の役割
9月 02, 2019 10:05サーサーン朝がアルサケス朝に代わって台頭しても、広大な土地におよぶイランの支配に重要な変化はなく、イランは過去のように、当時の文明世界の半分を治め、また世界の西半分はローマ帝国によって統治されていました。この時代、中央アジアのオキサス河流域のマーワラーアンナフル地方、即ちトランスオキシアナと呼ばれる地域でも、とりわけサマルカンド、ブハラなどに集住していたイラン系のソグド人が、中国西部のトルキスタンにおいて文化的、商業的活動を導いていました。それらの多くは、イラン文明から直接的な影響を受けていました。この時代、中国のトルキスタンは実際には、イランの外縁部の一部だったのです。
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イランの紆余曲折の歴史 (2)
9月 01, 2019 08:44前回は、パールス人たちが初めて、アケメネス朝という史上初の、そして最大のイランの王朝を築き、イラン高原に存在していたあらゆる文明を統一したことについてお話しました。彼らは「王の道」と呼ばれる道を敷設することで、様々な人々が物質的・精神的な交流を行なう機会を初めて整えたのです。王の道は、イラン南西部のシューシュから始まり、チグリス・ユーフラテス川を通過したあと、小アジア・トルコ南西部のエフェソスまで続き、その全長は2680キロメートルにも及びました。この道は軍事、情報、治安維持のためだけでなく、通商や文化交流などにも使われ、初めて様々な文明の人々の関係を世界レベルで築いたのです。
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イランの紆余曲折の歴史
8月 27, 2019 08:11前回まで2回にわたって文化遺産の定義と、物的、知的遺産の面からのイランの文化遺産の分類、そしてそれらに対する長期間の略奪についてお話してきました。イランの名声について知るためには、何よりもまずそれらの文化的、アイデンティティ的な歴史を知ることが必要となってきます。この点から、イランの紆余曲折の歴史をお話し、アーリア人のイラン高原への集団移住について、概略的にご説明してまいりました。今回もその続きをお話したいと思います。
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イランの広大な文化圏
8月 26, 2019 12:27前回は、皆様にこの番組の目的をお伝えし、文化遺産とは何かを定義し、それを精神的、物質的なものに分類し、イランの文化遺産とその略奪の歴史についてお話しました。イランの精神的な遺産として名高いものを知るためには、なによりも彼らの文化的、本質的な歴史について知る必要があります。2回目の今回は、イランの広大な文化圏についてお伝えしたいと思います。
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バルーチ族の口承文学
8月 12, 2019 16:59今回はイランのバルーチ族の口承文学についてお話することにいたしましょう。
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バルーチ族の音楽
7月 18, 2019 17:11今回は、イランのバルーチ族の音楽についてお話しすることにいたしましょう。
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ノウルーズ便り3 ノウルーズの哲学
3月 26, 2019 23:00ノウルーズという言葉は、ペルシャ語の新しいを意味する「ノウ」と日を意味する「ルーズ」の二つの単語から成っています。
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ノウルーズと生活様式(1)
3月 26, 2019 22:00イスラム的な生活様式は、イランの文化と文明の最も重要な側面の1つです。
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冬季のイランの豊かな文化
12月 15, 2018 12:23今回は、冬季のイランの豊かな文化、風俗習慣についてお話しすることにいたしましょう。
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マーザンダラーン州のアッバースアーバード庭園
7月 25, 2018 20:06今回は、イラン北部マーザンダラーン州のアッバースアーバード庭園についてご紹介しましょう。