• セイエド・イスマーイール・ジョルジャーニー(1)

    セイエド・イスマーイール・ジョルジャーニー(1)

    9月 19, 2019 15:52

    11世紀の医学者、セイエド・イスマーイール・ジョルジャーニーはイランの有名な医学者で、非常に知名度が高い人物であるものの、その生涯についてはあまり知られていません。ジョルジャーニーはイランの、そしてイスラムの医学の頂点に君臨しており、イランの最も高い栄誉を受けています。残念ながら、ジョルジャーニーに関して、彼の伝記や様々な資料、そして彼自身の作品に至るまで、その情報は非常にわずかであり、限られています。

  • ハーラズミー(2)

    ハーラズミー(2)

    9月 18, 2019 13:55

    アメリカの歴史家サートゥンは、西暦の9世紀前半の時代をハーラズミーの時代と名づけ、またフランスの歴史家マールは、彼について次のように記しています。「ハーラズミーが、新しいヨーロッパの人々にとって代数学の教師だったという歴史的事実は、今や否定できない」。

  • ハーラズミー (1)

    ハーラズミー (1)

    9月 17, 2019 12:24

    フワーリズミーとして知られるムハンマド・ビン・ムーサー・ハーラズミーは、アッバース時代のイランの歴史的な天文学者、数学者、哲学者、地理学者、歴史家です。彼の生没年について、正確なことはわかっていませんが、イスラム暦2世紀後半、即ち西暦801年以前に、現在の中央アジアにあたるハーラズムで生まれたと言われています。イブン・キトフィーとイブン・ナディームの2人のイスラム教徒の歴史家は、彼をハーラズム出身であるとしており、彼の呼び名もアラル海南部、現在のウズベキスタンのヒヴァにあたるハーラズムの出身であることを示しています。ハーラズミーは数学、特に代数学の分野における発見により、学術的な名声を獲得しました。中世の数世紀における数学者で、彼ほど影響力を持った学者は誰も存在しませんでした。このため、彼は代数学の父と呼ばれています。アメリカの歴史家ジョージ・サートゥンは、自著の中で時代を分類し、15世紀までの時代を「ハーラズミーの時代」と呼んでいます。

  • ファーラービー

    ファーラービー

    9月 16, 2019 13:55

    イランやイラン国外のあらゆる学者や歴史家は、ファーラービーがイラン系であることに疑いはないとしてこれを強調し、ソグド語やペルシャ語によって書かれた文書など、正確で信頼ある資料により、ファーラービーがトルコ系であるとする人物の主張を否定しています。また、ファーラービーが様々な学問において、他に類がないほど優れている人物であり、当時の大半の学問に関する著作を執筆したことにも触れました。彼は、哲学を再興し、イスラム哲学の創始者となりました。ファーラービーの見解では、哲学の命題とは存在の絶対性であるとしています。ファーラービーの哲学はイスラム哲学ですが、ギリシャ哲学、とりわけアリストテレス哲学の影響を受けています。

  • イラン国外にその廟があるイランの思想家

    イラン国外にその廟があるイランの思想家

    9月 15, 2019 12:33

    今回からは、新たなテーマに入ります。前回までは歴史の中での、イランの文化や、イランの文化的、地理的な領域の広がりについてお伝えしてまいりました。今週からはイランの広大な文化圏の中で生き、現在、イラン国外にその廟があるイランの思想家を取り上げます。これらの思想家や著名人の思想や作品の多くは、イランや世界に影響を及ぼし、世界的な遺産とされています。ルーミー、あるいはモウラーナーとして知られている13世紀の神秘主義詩人モウラヴィーや、12世紀の詩人ニザーミー、神秘主義哲学者ソフラヴァルディー、10世紀から11世紀の学者ビールーニー、13世紀の学者ナスロッディーン・トゥースィーなどの人物はイランが誇る著名人であり、世界の人々は彼らの思想による大きな恩恵を受けています。また、世界的な英知は、彼らに負うところが非常に大きくなっています。今夜は、9世紀から10世紀の学者、ファーラービーについてお話することにいたしましょう。

  • ペルシャ語の広がり

    ペルシャ語の広がり

    9月 14, 2019 14:52

    ペルシャ語はサーマーン朝時代、民族語と見なされていましたが、イランのトルコ系の為政者によって公用語となりました。また、イスラム世界の様々な人々や文化のなかで使われている語彙や概念を受容することができたため、国際語としての力を示したのです。12世紀には、広大なイスラム世界の多くの地域が、イランの文化の影響を受けていた、トルコ系王朝の軍事的、政治的な支配下に置かれました。これらの為政者により、ペルシャ語は中国からインド、現在のトルコに当たる小アジアまで広がり、最も権威のある国際語の1つとなりました。ペルシャ語の影響は、インドといった一部の地域にまで及び、そうした地域の詩人や作家がペルシャ語による作品を世に送り出していました。

  • ペルシャ語、イラン文化の類まれな特徴

    ペルシャ語、イラン文化の類まれな特徴

    9月 11, 2019 13:26

    言語とは、あらゆる文化にとって決定的で重要な要素の1つです。文化の最も重要な要素で、後の世代に文化を伝達する手段であるため、言語は文化の存続の中心的な役割や機能を果たします。言語の盛衰や変化は、実際に1つの文化的な社会が見てきた、様々な教えや経験を反映しているのです。このため、言語の変化の調査は、あらゆる文化的な社会が生活環境と社会的な関係において示している反応や状況を調べる方法のひとつなのです。

  • イラン文化の影響

    イラン文化の影響

    9月 08, 2019 12:24

    トルコ系の人々は、部族的なつながりや所属性がない中で、イランのソルターン、つまり君主のように行動し、また一部の人々は、自分がイラン系であることを示すために、イラン人の家系図を偽造しようとしたのです。新たにイスラム教に改宗したセルジューク朝のトルコ系のイスラム教徒は、当初は牧草地が少なかったことから、またイランの北の境で侵入者を防ぐという約束で、イランに入ってきました。しかし、ガズナ朝が弱体化したことで、トルコ系のイスラム教徒が権力を掌握しました。彼らは結果的に、中央アジアのハーラズムやトランスオクシアナを繰り返し攻撃して、この地域を制圧し、最終的にガズナ朝のマスウードを敗北させ、広大なイラン高原の支配権を手にしました。

  • 世界におけるイランの人々の役割(2)

    世界におけるイランの人々の役割(2)

    9月 07, 2019 12:18

    前回は、イランの文化的な影響の地理的な範囲が、イスラム以前の時代には世界のおよそ半分に及んでいたことについてお話しました。また、サーサーン朝が崩壊し、イランの人々がイスラム教を受け入れたことから、この範囲は縮小しなかったのみならず拡大しました。イランの人々は、ウマイヤ朝時代とアッバース朝時代に重要なポストを獲得し、世界の最も遠い場所までその勢力範囲を広げたのです。

  • 世界におけるイランの人々の役割

    世界におけるイランの人々の役割

    9月 02, 2019 14:35

    サーサーン朝がアルサケス朝に代わって台頭しても、広大な土地におよぶイランの支配に重要な変化はなく、イランは過去のように、当時の文明世界の半分を治め、また世界の西半分はローマ帝国によって統治されていました。この時代、中央アジアのオキサス河流域のマーワラーアンナフル地方、即ちトランスオキシアナと呼ばれる地域でも、とりわけサマルカンド、ブハラなどに集住していたイラン系のソグド人が、中国西部のトルキスタンにおいて文化的、商業的活動を導いていました。それらの多くは、イラン文明から直接的な影響を受けていました。この時代、中国のトルキスタンは実際には、イランの外縁部の一部だったのです。