コーラン、指南と教示
イスラムの聖典コーランは導きの書であり、その内容は、全人類に向けた呼びかけです。
昨今は特に、過去のいずれの時代にも増してコーランという書物が人々の話題に上っています。しかし、この聖典を熟読することなく性急に裁断する人もいれば、信奉者の肉体と精神に多大な影響を与えるが故にこの書物を恐れ、これを抹殺しようと焼却の寸前にまで至る人もいます。
一体、コーランとはいかなる物なのでしょうか?そして、コーランが焼却すれば、そこに述べられている文言内容まで消失してしまうのでしょうか?
聖コーランは教育の書であるとともに人間形成の書物であり、精神・物質的なあらゆる側面における個人と社会の進歩・発展のために啓示されました。何にも増して大切なことは、コーランとはこの道を歩むのに必要なすべての事柄を網羅しているということです。確かに、コーランは数学、地理学、化学、物理学などを含む科学の詳細をすべて網羅した大きな百科事典のようなものではありませんが、あらゆる知識の習得を呼び掛けています。さらに、時には一神教や教育上の議論に従って、科学や知識の微妙な部分の謎を解き明かしています。
しかし、コーランが啓示された目的、そしてコーランの主たる究極の目標は、正しい生き方を紹介し、人間を幸福と繁栄の軌道に乗せることであり、この点に関してコーランは一切の事柄を割愛していません。
コーランというイスラム教徒の聖典には、ユダヤ教の律法とキリスト教の聖書に続いて、神が最後の聖なる預言者厶ハンマドに下した一連の聖句集が含まれており、実際、すべての啓示宗教の聖典の恩恵と功績、および諸科学の成果の集大成となっています。
コーランの特徴のひとつは、他の聖典を裏付けることです。第3章アール・イムラーン章「イムラーン家」の第3節には「かれは真理をもって、あなたに啓典を啓示され、その以前にあったものの確証とし、また先に律法と福音を下された」と述べられています。
コーランは自らを導きの書と称し、全人類を対象に呼びかけています。 この聖典のアル・ムッダスィル章「包まる者」の第31節の最後には、「誠に、これは人類に対する訓戒に外ならない」と述べられています。
コーランは、読むことへの誘いから我々への呼びかけを始めています。
コーランには、科学と知識の習得、そして学者の奨励について書かれた節が約70も存在します。イスラムの預言者に啓示された最初の聖句は、彼に学ぶことや読むことを呼びかけた、第96章アル・アラク章「凝血」の第1から第5節までの聖句でした。そこには、次のように述べられています。「読め、『創造なされる御方、あなたの主の御名において。凝血から、人間を創られた』 読め、『あなたの主は、最高の尊貴であられ、筆によって(書くことを)教えられた御方。人間に未知なることを教えられた御方であられる』」
コーランには6000以上の節があります。そのうち約500節は宗教上の規則や礼拝行為に関連するもので、残りの節は倫理道徳や、正義の確立、神の道における聖なる戦いや、傲慢者との預言者らの闘争の訓戒・教示、人権の順守、相互間の不可侵や非抑圧を教えています。わけてもコーランの最も重要な強みは、人々の思考と行動の修正という建設的な役割です。
イスラム出現前の無明時代のアラブ人の状況と、イスラム出現初期にコーランの学校で教育を受けたアラブ人の状況を比較すると、コーランが人類と社会に大きな影響を与えたことが分かります。
数世紀も前、偶像崇拝の文化が蔓延していた時代、崇高なるイスラムの預言者は神の命により、世界を奴隷制や捕囚・捕らわれのくびきから解放し、神の啓示という貴重な教えにより人類に文明と偉大さの精神を吹き込みました。そして、彼は信仰と導きの灯火により無知と迷信という闇を滅ぼしたのです。神の使徒なる預言者ムハンマドは科学と知識の普及伝搬により、無知、邪道への逸脱、反逆が蓄積された社会を真正なる幸福な社会へと転じさせました。
イスラムの発祥以来、コーランは一部の集団勢力により侮辱・歪曲され始めましたが、時間が経つにつれて、コーランは社会で益々輝きを増していきました。その要因のひとつは、この偉大な書物のメッセージが読者に与えた多大な影響です。歴史には、不信心者のある集団が預言者を信じていなかったにもかかわらず、内なる渇望を満たし癒すために密かに預言者の家の周りに立ち、預言者が朗唱する、建設的で心にしみる聖句に耳を傾けていたことが記録されています。この聖なる書物の教えへの入信者が増加していることも、コーランのもうひとつの奇跡と言えるでしょう。