イマームホサインの思想
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9月 02, 2019 23:30 Asia/Tokyo
  • イマーム・ホサインの霊廟
    イマーム・ホサインの霊廟

西暦680年にあたるイスラム暦61年モハッラム月2日、イスラムの預言者ムハンマドの孫で、シーア派3代目イマームであったホサインは、家族や教友たちとともに、現在のイラク南部のカルバラの地に着きました。

イマームホサインは、その数か月前、ウマイヤ朝のヤズィードによる圧制的な統治に抗議し、彼に忠誠を誓うことを拒み、メディナからメッカに向かい、その後、イラクのクーファを訪れていました。

 

クーファの人々は、最初こそ、イマームホサインの蜂起を支持して彼を自分たちの町に招いていましたが、ヤズィードの統治に対する恐れとクーファの為政者による偽りの約束により、その蜂起への支持をやめました。イマームホサインの一団は、カルバラでヤズィードの軍隊にその動きを阻止されました。

 

イマームホサインは、自分たちの運命を知っていましたが、自分の命よりも、神の宗教を守ることの方が重要だと考えていました。ウマイヤ朝の統治における逸脱は著しく、イマームホサインの蜂起がなかったら、それまでの統治者によってもたらされていた逸脱により、イスラムは葬り去られ、あとかたも残っていなかったでしょう。イマームホサインは、自らの殉教を知っていながら、イスラムを守るために立ち上がりました。

 

人類の歴史の中では多くの戦争が行われてきました。その中で、真理と正義を守るために行われた蜂起は少なくありません。真理を、求める多くの人が、正義を実現するため、引いては宗教的な目的のために、自分や大切な人の命を捧げてきました。誰でも、真理の道のために立ち上がり、抵抗する人は、世界の創造主である神の御前で愛される人々です。しかし、一部の人はその名前すら歴史に残っておらず、また中には、人々の記憶に残っている人もいます。

 

清らかな人間が真理を追求して起こした蜂起の中でも、イマームホサインの蜂起には、1400年という時が経つにも拘わらず、大変多くの人々が、毎年、追悼を捧げています。その蜂起は、そのスローガンと価値観により、常に、非常に大きな変化が起こる源となってきました。宗教指導者たちは、この蜂起の永遠性の秘密は、イマームホサインとその教友たちの純粋さにあるとしています。なぜなら、神の御前で価値が見出されるのは、神の満足のためになされた行いのみであるからです。

 

聖典コーランの中では、宗教的な義務のすべてが、純粋な目的をもって読み上げられています。神はコーランの中で、神の道における戦い、ジハードについて次のように語っています。「神の道において戦いなさい」 また、殉教についてはこのようにあります。「神の道において殺害された人々」 また、施しについては次のようにあります。「自らの財産を神の道において施す人々」 さらにコーランは、預言者一門について、次のように語っています。「自らの食事を、恵まれない人や孤児、捕虜たちに与え、私たちは神のために、あなた方に食事を与え、それに対する見返りを求めないと言う」

 

イマームホサインの蜂起の明らかな特徴は、何の見返りも求めず、純粋な心から、神と神の宗教のために行われたことにあります。コーランには次のようにあります。「自らの土地を、高慢さと自己顕示のために離れた人々のようになってはならない」 イマームホサインは、自らの蜂起について、次のように語っています。「まことに私は、高慢さや自己顕示、あるいは圧制によって町を離れたのではない。私の祖先の共同体を改めるためだけに立ち上がったのだ」

 

この蜂起の中で、純粋な心を持つイマームの教友たちが彼を助けましたが、神の満足を求める以外に、別の思惑を持った人々、不純な動機を隠していた人々は、この一団に加わらず、道の半ばでイマームから離れました。しかし、イマームホサインとその教友たちは、神の満足以外のことには満足しませんでした。それが、アーシュラーの蜂起が永遠のものとなっているゆえんです。アーシュラーの蜂起は、時の経過とともに忘れられることはなく、それどころか、日々、その魅力を増しています。これはその純粋な目的のためです。創造世界の秩序において、純粋な行動が消え去ることはないのです。

 

闘争に参加し、敵に対峙する人は誰でも、自分の勝利と敵の敗北を追い求めます。イマームホサインも、その例外ではなく、勝利を求めていました。しかし、イマームホサインは、この戦いに勝利できるような状況にあったのでしょうか?もしそのような状況になかったのなら、なぜ、戦いに挑んだのでしょうか?

 

イスラムにおいて、勝利とは、宗教的な義務を遂行し、宗教法で定められた責務を完遂させることにあります。人間は時に、目的を達成するためにあらゆることを行わなければなりません。たとえ、結末が死であることが明らかな場合であってもです。宗教的な指示を遂行し、イスラムを守るため、イスラム初期にさまざまな戦いに参加した戦士たちも、その神の道における戦いの結末が殉教であることを知っていました。しかし、宗教を守るために、それ以外に方法がないことを知っていたため、その戦いに参加したのです。

 

多くの伝承には、「もし命が危険にさらされれば、財産をたてにして自分の命を守るように、だが、もしイスラムが危険にさらされたときには、自らの命を盾にしなさい」とあります。そのため、宗教を守るために身を捧げることが認められており、イマームホサインもそれを実行したのでした。

 

イマームホサインは、神の宗教を守るために、自らと家族や教友たちの命を捧げ、こうしてこの蜂起は歴史に刻まれ、真理と正義を求めるすべての人々の模範となったのです。

 

イマームホサインは、カルバラに着くと、預言者の教友のひとりであったハビーブ・イブン・マザーヘルに書簡を送りました。その内容は次のようなものでした。

 

「あなたは私がいかに預言者に近いかを知っており、誰よりも私たちのことを知っている。また、あなたは苦痛というものを知っており、宗教的な情熱を持っている人だ。そこで、あなたに助けてほしい。預言者も最後の審判であなたの行いに感謝するだろう」

イマーム・ホサインの霊廟

 

イマームホサインの書簡が届いたとき、ハビーブは、ウマイヤ朝を恐れて病気のふりをし、すっかり年老いてしまったようにふるまいました。ハビーブは、自分の心の中の決意を隠し通し、ウマイヤ朝の危険にさらされないよう注意しながら発言をしていました。こうしてとうとう、ハビーブは夜にクーファを出て、召使と共にカルバラに向かいました。

 

ハビーブは、カルバラに着いた後、戦いの場で、イマームホサインへの忠誠を示しました。イマームホサインの教友の数が、敵の軍勢に比べて非常に少ないのをみると、彼はイマームにこう言いました。「この近くにアサド族の人々がいます。彼らのところに行き、助けを求めましょう。おそらく神から導きを受けることになるでしょう」 ハビーブはイマームホサインの許可を得ると、急いで彼らのもとに行き、こう言いました。

 

「あなた方に贈り物がある。今、イマームホサインが、敬虔な人々とともにあなた方の近くに来ている。彼は敵に囲まれている。そこで、あなた方に彼と預言者の神聖を守るための助けを求めたい。神に誓って、もし助けてくれれば、神はあなた方の現世と来世に栄誉を与えてくださるだろう」

 

彼らのひとりが立ち上がって言いました。「あなたの努力に神から報奨がありますように。私はあなたの申し出を受けいれよう」 その後も何人かが立ち上がって同じようなことを言い、イマームホサインとその教友の中に加わる用意を明らかにしました。その数は70人から90人に達しました。彼らはカルバラに向かおうとしましたが、ウマイヤ朝の裏切り者たちがそれを知らせ、その夜、彼らの出発は妨げられました。このとき、アサド族の人々は、イマームを助けることはできませんでしたが、アーシュラーの蜂起が終わった後、彼らはカルバラのちに赴き、殉教者の清らかな遺体を埋葬しました。

 

ハビーブは信仰心をもって敵との戦いに挑みましたが、攻撃を受け、殉教しました。イマームホサインは彼の首のない遺体のもとに行き、こう言いました。「自分と自分を助けてくれた人々への報奨を至高なる神に求める」

 

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