イラン人クリエイターが描くサッダーム政権によるイランへの化学兵器攻撃
化学兵器の使用は国際条約で禁止されていますが、かつてのイラクのサッダーム政権は、イラン・イラク戦争でイラン側の国境の街を化学兵器で攻撃しました。
【ParsToday国際】そのうち最も多くの被害を出したのが西アーザルバーイジャーン州サルダシュトです。1987年6月28日、イラク軍の戦闘機は西側諸国から調達した化学兵器を搭載した爆弾をサルダシュトに投下し、多くの一般市民が毒ガスにより死亡しました。この出来事にちなんで、毎年この日はイランで「化学・生物兵器に反対する日」とされています。
サルダシュトの出来事には、イランの映画監督や作家らも注目し、自らの作品の題材として取り上げてきました。
「ハルへ川からライン川まで」(監督:エブラーヒーム・ハータミーキヤー)は、化学兵器の攻撃を受けたイラン兵の苦しみを描いた映画として最も名高いもののひとつです。イラク軍の化学兵器攻撃をうけた主人公サイードは、同様に負傷した兵士らとともに治療のためドイツに向かいます。ドイツはサッダーム政権に化学兵器を提供した国でした。サイードは医師らの努力により片方の視力を取り戻しますが、同時に化学兵器を浴びた影響で白血病を発症していることが判明します。
同じく化学兵器による攻撃をうけた人々を描いた映画に「ママのマ」(監督:ラスール・モッラーゴリープール)があります。主人公セピーデはサルダシュトで働く看護婦で、自身もイラク軍による化学兵器攻撃を受けます。数年後、夫との間に子供を授かりますが、医師から告げられたのは思わぬ現実でした。
この映画は、サルダシュトで化学兵器攻撃をうけたガーデル・モウラーンプールという実在の男性が主人公です。モウラーンプールはこの攻撃で家族全員を失い、その全員の遺体をクルミの木の下に埋葬しました。ただひとり、攻撃の直前に生まれたモウラーンプールの第4子は、他の街に移送されます。モウラーンプールは我が子の帰りを待ち続けます。
サルダシュトの化学兵器被害者の会は、モウラーンプールをこの街の8025人の化学兵器被害者のシンボルに指名し、2016年の死去後、彼の銅像が市内に設置されました。この映画はいわば彼の墓碑銘となりました。
映画以外にも、ランディー・ガーデン氏による著書『化学兵器使用とイラン・イラク戦争』は、イラン・イラク戦争において化学兵器がいかにして西側諸国の支援のもと使用され、国連安保理がそれにどう対応したかを描いています。