仏名優アラン・ドロンはどのようにしてイラン人の集合的記憶に残ったか?
(last modified Tue, 20 Aug 2024 05:58:15 GMT )
8月 20, 2024 14:58 Asia/Tokyo
  • 仏名優アラン・ドロンがイラン人の集合的記憶に残った経緯とは?
    仏名優アラン・ドロンがイラン人の集合的記憶に残った経緯とは?

フランスの著名な俳優アラン・ドロンは、イラン人の間で非常に名声を博しており、多くのイラン人の親睦会や家族の集まりでは、互いの顔つきや容姿をからかう際にアラン・ドロンの名が幾度となく使われていました。

パールストゥデイによりますと、オンライン新聞・ジャヴァーンは「アラン・ドロンはどのようにしてイラン人の集合的な記憶の一部となったのか?」と題する記事を掲載しました。アラン・ドロンの訃報にちなんでモハンマド・タブリーズィ氏が執筆したこの記事は、以下のようなものです;

イラン人にとって「アラン・ドロン」は様々な意味で特別な人物、および俳優だと考えられている。イラン人が外国人俳優にこれほど敏感になって注意を払うのは、これまでの例で見ても珍しい。イランでは長年にわたり、アラン・ドロンという言葉が身なりの良いハンサムの象徴となったほど、このフランス人名優の名は街頭の人々の共通の話題に度々上っている。

しかし、なぜアラン・ドロンという人物はこれほどイラン国民の記憶に刻まれ、享年88歳での彼の訃報は一般大衆にとって重要なニュースとなったのであろうか?

このフランス人俳優の人気の一部は、彼の映画が頻繁にテレビ放映されていることにある。往年のドロンは非常に多くの映画や番組に出演しており、多くの警察映画やワークショップ映画に出演したほか、「サムライ」「シシリアン」「レッド・サークル」などの映画の一部はイランのテレビで何度も放映された。

アラン・ドロンは自身が出演する映画の放送により、現在のようなインターネットやSNS、そして数多くの著名人に関するニュースがあまりなかった時代にすでに、イラン社会の大部分において高い認知度を得るようになった。当時、アラン・ドロンは冷淡で男性的な容貌と鋭い視線という観客受けのよい雰囲気をかもし出していた。

ドロンのような男性俳優は当時のテレビ視聴者に、男性的なで力強い外見で認知されていた。これは、男性的な外見や行動が記憶に残りにくい今日の国内外の著名人や芸能人とは真逆である。

アラン・ドロンはまさに、スターたちが奇抜な行動や作品でちやほやされず、注目されるのにあらゆる手段を使うようなことはしなかった世代のための存在だった。彼らが魅力的だったのは、ありのままの自分をさらけ出し、その素のままの自分こそが観客の心を動かしていたからである。彼らは、現在の状況とは大きく異なる特定の時代や状況に属していたのである。

イラン社会でこの俳優の名声を打ち立てた要素としては、ドロンの顔の表情やマイム的動作に加えて、吹き替えを担当した俳優、ホスロー・ホスローシャーヒーの心に染みる台詞も大きく寄与している。ホスローシャーヒーの声はドロンの容貌にぴったりで、道行く人々はドロンと同じ表情で彼のセリフを真似ようとしていた。

名声優ホスローシャーヒーは、自動車との衝突事故の際に運転手が動揺して怒った表情で自身に放った言葉を、興味深い思い出として語っている; 「車にぶつかったり、横転させたり、アラン・ドロンごっこをしているのか!」

1960年代から80年代にかけて生まれたイラン人の多くは、こうした記憶を有している。彼らは、友人や家族の集まりのたびに、お互いの顔や容姿をからかうのに「アラン・ドロン」という言葉を何度も使った覚えがあり、その結果として、このフランス人俳優の名前が幾世代ものイラン人の集合的な記憶の一部となったのである。

そうした世代のイラン人にとって、「ドロン」は当時の数少ない映画スターの一人と考えられ、誰もが愛しており、この俳優に嫌悪感を持つ人はほとんどいなかった。ドロンは長年にわたり容姿端麗、身なりの良いスーパースターとして知られ、そのイメージはテレビで多くの一般大衆にアピールされていた。

アラン・ドロンの死により、映画界は古くからの古典的スターを一人失った。彼らのようなスターは、現代の世界では類まれな存在といえるだろう。

 

 


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