ガザは第2のカルバラー;ガザの飢餓に対するイラン人「X」ユーザーの反応
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ガザは第2のカルバラー;ガザの飢餓に対するイラン人「X」ユーザーの反応
SNSの1つ「X」のイラン人ユーザーらが、ガザにおけるシオニスト政権イスラエルの犯罪を、シーア派3代目イマーム・ホサインの時代の暴君ヤズィードの犯罪と比較しました。
「アバ・アブドゥッラー」および「サイイド・アル=シュハダー」として知られるイマーム・ホサインは西暦626年に当たるヒジュラ歴4年に、現在のサウジアラビアの聖地メディナで生まれました。彼はイスラムの預言者ムハンマドの孫にあたり、彼の実父である初代イマーム・アリーはイスラムの預言者ムハンマドの後継者でした。イマーム・ホサインはこのアリーおよび、預言者の娘ファーティマ・ザフラーの次男に当たります。
イマーム・ホサインは、西暦669年に当たるヒジュラ暦50年に兄のシーア派2代目イマーム・ハサンが殉教したことを受けてイマーム(シーア派の導師)に就任し、約11年間預言者一門の信奉者らを導きました。ホサインがイマームとして在位していた時代は、当時のイスラム圏を支配していたウマイヤ朝の初代カリフ・ムアーウィヤの統治時代と重なります。このムアーウィヤは父親の死後、西暦661年に当たるヒジュラ暦60年にイマーム・ハサンとの和平条約に違反してカリフの位に就き、民衆に圧制をしきました。
イマーム・ホサインもまた、西暦680年に当たるヒジュラ暦61年モハッラム月10日、ウマイヤ朝の暴君ヤズィードを相手に蜂起し、アーシュラー(アラビア語で数字の10の意)として知られる事件で多くの親族や仲間と共に現在のイラク・カルバラーで殉教しました。ヤズィードはイマーム・ホサインの教友や同志たちに降伏を強いるため、彼らの野営場所への給水を停止しましたが、彼らは渇きと飢えにもかかわらず、その希望を諦めなかったのです。
「X」のイラン人ユーザーらは、シオニスト政権イスラエルによるガザ地区の完全封鎖、及び食糧、医薬品、人道支援物資の搬入阻止を、カルバラーでイマーム・ホサインとその教友らが殉教したアーシュラーの出来事にきわめて類似していると捉えています。
【Pars Todayイラン】この記事では、イラン人ユーザーらのこうした反応について検証していきます。
カルバラーとガザ
「ファティマ・シャリーフィヤーン」と名乗る女性ユーザーは、イスラムの預言者の孫であるイマーム・ホサインの時代と現在のガザにおける飢餓を比較し、次のように述べています;
「カルバラーでは、当時の暴君ヤズィードはイマーム・ホサインとその教友たちへの給水源を止め、喉の渇きを味わわせることで降伏を迫った。しかし、そこで起こった抵抗は歴史に永遠に刻まれるだろう。今日、イスラエルはこの同じ古代兵器を現代風にアレンジしガザに対して使用している」
現代ビジュアル版アーシュラーとしてのガザ
「Khadim al-Reza」と名乗るユーザーは、ガザにおけるこの日のニュースが西暦680年に当たるヒジュラ暦61年に起きたカルバラーでのイマームホサイン殉教事件に類似している、と見なし、次のように述べています;
「カルバラーは、私たちがVRグラスによる技術で視覚化したい、あるいはAI人工知能を使ってアーシュラー日の光景を再現したいと思うような出来事のいずれでもない。カルバラーは、今まさにイスラエルとガザの戦争に関する一連のニュースの列の中に見ることができる」
真実の繰り返し
また「ユーセフ・シャムス」と名乗るユーザーは、殉教を世界の終わりとは考えておらず、次のようにメッセージに記しています;
「アーシュラーは私たちにこう告げている。『殉教は死ではない。そして今日のガザは、この真実の繰り返しだ。殉教したガザの子どもは、どんな政治家よりも鮮やかに神の名を蘇らせているのだ。』と」
永遠に生き続ける教訓
さらに、「ラティフィ」を名乗るユーザーは、「抑圧に立ち向かうことは永遠に生き続ける教訓だ」とし、次のように述べています;
「アーシュラーは単なる史実ではなく永遠に生き続ける教訓であり、それはたとえ孤独であっても、抑圧に立ち向かうという教えである。今日、イランからガザに至るまで、私たちの国は同じ道を歩んでいる。それは情愛による団結、真実のために抵抗する道である」
ガザは抵抗の頂点
「パリー・ハーノム」と称する女性ユーザーは、ガザを抵抗の頂点だとし、次のように書き込みました;
「カルバラーが犠牲の頂点だとすれば、ガザは抵抗の頂点だ。そのいずれの地域でも、人道と正義の声が響いている。ガザの飢えた子どもたちは、カルバラーの子どもたちの渇きを思い起こさせる。ガザの人々の抵抗は、イマームホサインが起こした蜂起を彷彿とさせる」