イラン地図作成機関長官、「紀元前3000年からペルシャ湾と呼ばれている」
(last modified Mon, 30 Apr 2018 09:42:11 GMT )
4月 30, 2018 18:42 Asia/Tokyo
  • ペルシャ湾の記念日
    ペルシャ湾の記念日

イラン地図作成機関の長官が、紀元前3000年からこれまで、数多くの歴史的地図でペルシャ湾の名称が使用されてきたと語りました。

1622年、ポルトガルの占領者をイラン南部の海域から追放した記念日に当たる30日月曜は、ペルシャ湾の日とされています。

一部のペルシャ湾岸のアラブ諸国は最近、西側の扇動により、ペルシャ湾の名称を歪曲しようとしており、一方で、ペルシャ湾という名称は大変古くから使用されてきました。

イラン地図作成機関のシャフィーイー長官は、29日日曜、テレビのインタビューで、「国連の地理的名称に関する作業部会では、常にペルシャ湾という名称が使用されており、また国際機関の見解においても、この地域の名称は常にペルシャ湾だった」と語りました。

 

ペルシャ湾

 

『ペルシャ湾』という本の著者であるノウルーズィー氏も、「国連は1990年から西アジアの地域諸国に向けた書簡の中で、歴史的な名称であるペルシャ湾を使用するよう求めている」と語りました。

イスラム革命防衛隊のサラーミー副総司令官は、ペルシャ湾の日に際してテヘランで行われた会合で、この地域は常に戦略的な地域だとしました。

サラーミー副総司令官はまた、以前にイランがポルトガル、ドイツ、イギリス、フランス、オランダなどの各国と署名してきた文書や協定書ではペルシャ湾の名称が使用されているとしました。

こうした中、イラン南部・キーシュ島の若者の住民の一団は、ペルシャ湾の日に際して、沿岸地帯で人間の鎖を作りました。