ハートゥーン橋 イラン北東部ホラーサーン・ラザヴィー州(日本語のナレーション付)
(last modified Sun, 16 Feb 2020 13:55:03 GMT )
2月 16, 2020 22:55 Asia/Tokyo
  • ハートゥーン橋
    ハートゥーン橋

今回のドキュメンタリー・イランでは、イラン北東部ホラーサーン・ラザヴィー州にあるハートゥーン橋をご紹介しましょう。

 
ハリール・ルード川はアフガニスタンの山々を水源としています。 キャシャフ・ルード川はホラーサーン山脈の一角を水源とし、ここでハリール・ルード川に合流します。合流した河川はタジャン川と呼ばれます。

ハリール・ルード川と キャシャフ・ルード川の合流は、それ自体がイランとトルクメニスタンの合流を表しています。その合流は、ハリール・ルード川にかかるイランの橋です。

この古くからの橋は、その昔、イランが広大な地であった証です。
橋は、イラン様式の建築で、イランの建築家の手によって、この土地の人々の往来のため、石を積み上げて建設されました。現在も橋の修復はイラン人の手で行われていますが、橋は完全にイランの所有ではありません。石造りの ハートゥーン橋の歴史は、ティムール朝時代にまで遡ります。現地の人々によると、「ハートゥーン橋を建設したのは、ティムール朝のシャーフロフ王の妻でマシュハドのゴウハルシャード・モスクを建てたゴウハルシャードの姉妹であるハートゥーンだ」と言われていて、そのため彼女に因んでハートゥーン橋と命名されたということです。

ハートゥーン橋はモルタルを使って固めた岩の基礎の上に建てられており、これが今日まで崩れずに残っている秘密です。 橋の両側は防波堤で覆われています。 ハリール・ルード川に面した防波堤は、一方が三角形、もう一方は半円形になっています。

ハートゥーン橋のアーチの形と大きさはさまざまで、この橋が異なる時代に修復されたことを物語っています。

これらの修復で最も顕著なものは、カジャール朝のナーセロッディーン・シャーの時代のものです。最初の2つのアーチと最後の1つのアーチは、残りのアーチと比べて小さく、その形も先端がとがっています。その間にあるアーチは、開口部も広く、先端も丸くなっています。全体では5つのレンガのアーチが設けられ、ハリール・ルード川の水がそのアーチの中を通り抜けるようになっています。

ハートゥーン橋はほとんど勾配がないため、いくつかの岩溝は、橋の表面の水を排水する役割を担っています。 ハートゥーン橋は長さ105m、幅6m、水面からアーチの先までの高さは12mあります。 ハリール・ルード川はイランとトルクメニスタンの国境となっており、川の上には両国が共有するテントが張られています。両国の国境は、ハリールード川の中央となっています。

かつてイラン北東部マルヴ地方の人々の橋であったハートゥーン橋は、現在は国境上にあるため、そこを渡ることはできず、その姿も川の土手沿いの木々に隠されて見ることができません。イラン北東部ホラーサーン・ラザヴィー州 サラフス市から南65 kmにあるサドルアーバード村、そこにあるハートゥーン橋は、長い年月イラン国境を守ってきたのです。

 

ラジオ日本語のユーチューブなどのソーシャルメディアもご覧ください。

http://youtube.com

https://twitter.com/parstodayj

https://www.instagram.com/parstodayjapanese/

 https://soundcloud.com/user-614960283

タグ