視点
イランが主張する戦争反対と、公平に基づく平和
イランはこれまで決して、地域における緊張や軍事衝突を求めたことはありませんが、公平に基づく平和な暮らしのためには、脅迫や脅威に対しては強力に、かつ賢明、抑止的であるべきだと強調しています。
古今東西を問わず、平和と安全は歴史を通して人類の最も重要な願望および、理念であり続けてきました。この国際的な要求に応え、国連は1981年以来、国連総会決議に基づいて、毎年9月21日を「国際平和デー」に制定しています。しかし現実には、平和の求めるものは、単なる戦争放棄・回避ではなく、正義や平等、安全が体感できることなのです。
イラン人研究者の1人、ジャミール・ミーラーニー氏は、国際法の視点から見た平和について、国際条約やジュネーブ条約、国連憲章、世界人権宣言などの様々な文書に触れ、それらの国際文書・条約に世界の平和と安全の維持の必要性が強調されていることを指摘しています。しかし、それらの国際法の究極の目的は平和であり、平等や公平さではありません。
アーシュティヤーニー・イラン国防軍需大臣は18日土曜、国連関係者やテヘラン駐在の各国武官らの出席により実施された、第3回イラン軍防衛・平和国際展示会の開幕式で、恒常的な平和に関するイランの立場を説明しました。
同大臣は「公平が確立すれば、それに伴い平和も確立される」とし、「戦争が終結するまで真の平和は訪れず、戦争は別の形で続くだろう」と語っています。
これに関するイラン国防軍需相の演説では、平和の真の概念を理解する上で重視されるべき重要な点が指摘されています。
アーシュティヤーニー大臣は、「平和は、覇権主義者や過剰な要求を押し付けてくる専横者への抵抗の元でのみ実現される」と述べています。この内容が強調しているのは、平和と公平があくまでもセットでなければならず、また安全の防衛や、圧制、平和を脅かす因子への抵抗に果たすイラン武装軍の役割と合致したものです。
実際に、平和と公平、安全は相互に必要としあう、必要十分条件的な要素といえます。このため、平和の新の概念を、発展や安全、公平・正義といった人間的な価値観から切り離して考えることはできません。言い換えれば、公平・正義のない世界に平和の実現は期待できないということです。
これに関して、平和を謳いながら公平・正義から乖離していることを示す複数の例が存在します。
平和・和平を、その真の概念を歪曲して悪用している代表例として、パレスチナ国民に対する一方的な懐柔策の押し付けや、和平という偽りの名目での、占領者たるシオニスト政権イスラエルとの関係樹立と狙った工作があげられます。アラブ諸国の対イスラエル関係正常化を狙ったアメリカの工作は、地域における平和を実現させられないのみならず、抑圧されたパレスチナ国民の権利回復や公平・平等性を無視し、真の平和を破壊するものにほかなりません。こうしたやり方はほかにも、アフガニスタンやイエメン、イラク、シリア、さらには世界の津々浦々の諸国民に対する干渉勢力が押し付ける圧制にも見て取れます、そうした行動は、基本的人権の歴然とした蹂躙かつ、地域や世界の平和にとっての深刻な脅威でしかありません。
普遍的な概念としての正義・公正さを伴った平和により、世界平和への道をさらに平坦にすることができます。過去の経験が示しているのは、平和が後世にまで続くのは、不公正や不平等、貧困、過激派が根絶されたときだということです。こうした目標の実現は、イラン国防軍需大臣が述べているように、政治家や学識者、そして何者にも隷属しない自由を求める人々、さらには全ての博愛主義者からのバックアップが必要になってくるのです。
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