沖縄・普天間飛行場返還合意から25年;墓参りにも許可いる現状にやるせない思い
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米軍普天間飛行場での先祖の墓
米軍普天間飛行場の返還に日米が合意してから12日で25年となりますが、沖縄では先祖供養の行事を前に、飛行場内に先祖の墓がある人々がやるせない思いを抱えています。
沖縄タイムスによりますと、沖縄県宜野湾市では17年前から、同飛行場内の墓を訪ねるには米軍に事前の立ち入り申請が必要です。ことしは、11日の先祖供養の行事・清明祭(シーミー)に合わせて353人が申請しました。毎年のことで慣れた人がいる一方、自分の先祖の墓にもかかわらず許可が必要な現状に違和感を訴える人もいます。
立ち入り申請書は市が取りまとめ、2週間前までに米軍へ提出します。日時や目的、同行者、車両番号を記入し、市を通じて許可証を受け取ることになり、少なくとも2004年度から続いています。立ち入り当日は全員が、ゲートで身分証明書を提示しなければなりません。
普天間飛行場にフェンスが設置され始めたのは1962年です。宜野湾市の男性(76)は、それ以前には重箱をふろしきに包み、戦死した親の代わりだった祖母と一緒に歩いて入ったと語っています。
毎年立ち入り申請をしている高齢女性は「面倒でも基地は返ってこない。諦める以外ない」と怒りのやり場を見つけられずにいます。墓の基地外移転は「軍用地料が減るから」と我慢する男性もいます。
那覇出身の比嘉和子さん(72)は約35年前、シーミーのために車で基地内に入ったところ、米兵に銃剣を向けられて引き返した経験があります。墓は、宜野湾出身の夫の父が急死した際、畑の一角に村人が総出で建ててくれたと聞いており、「自由に行き来できなくなったお墓だけど、基地の外に移そうとは思わない。だって、基地とお墓と、どっちが後にできたと思うの?」と、移せば「負け」と感じている心情を語りました。
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