歴史の一葉;イマーム・レザーの殉教
9月 16, 2023 16:51 Asia/Tokyo
今年の9月16日(イラン暦1402年シャフリーヴァル月25日)は、シーア派8代目イマーム・レザーの殉教したイスラム暦1445年サファル月30日に当たります。
西暦818年にあたるイスラム暦203年のサファル月30日、イスラム教の預言者モハンマドの子孫の一人であるイマーム・レザーが殉教しました。
イマーム・レザーは、西暦765年(イスラム暦148年) にメディナで生まれ、父親のシーア派7代目イマーム・カーゼムが殉教した後にイマームとなり、イスラム教徒の導く役目を引き継ぎました。
西暦815年(イスラム暦200年)、アッバース朝のカリフ・マームーンはイマーム・レザーに対し、現在のトルクメニスタンにある大ホラーサーン地方のメルヴへ行くよう求めました。マームーンは表面上、イマーム・レザーにカリフ位を継がせようとしましたが、それによって自らの政権基盤を固めようとする意図を持っており、イマーム・レザーは強制されていやおうなくメルヴへ赴くことになりました。
しかしその後、イマーム・レザーの持つ学問知識や高い精神性によって、その世論への影響力は日毎に増大していき、マームーンは徐々に恐怖の念を抱くようになりました。そして、西暦818年、マームーンはイマーム・レザーに毒を盛って殉教させました。
イラン北東部マシュハドにあるイマーム・レザー廟には、シーア派を中心としたイスラム教徒の巡礼者が、現在も耐えることなく訪れています。
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