歴史の一葉;シーア派11代目イマームの殉教
イラン暦1402年メフル月2日日曜は、西暦2023年9月24日および、イスラム暦1445年ラビーオルアッワル月8日に当たり、シーア派11代目イマーム・ハサン・アスキャリーの殉教日となっています。
イスラムの預言者の末裔の一人であるイマーム・ハサン・アスキャリーはこの日、現在イラク中部の町サーメラーで殉教しました。
この偉人は、イスラム暦232年に現在のサウジアラビアにあるメディナ市に生誕しました。彼の最愛の父親であるシーア派は10代目イマーム・ハーディは、最高の完璧さと美徳を兼ね備えた預言者の子孫の一人であり、また彼の母親は高貴で知性にあふれ、高潔で慈悲深い女性でした。
父親の殉教後、この高貴なるイマーム・ハサン・アスキャリーはイスラム教徒の宗教的指導者としての責務を引き継ぎました。彼の在位期間は、再現を約束された救世主たる第12代目イマーム・マハディの生誕により、非常に困難の多い、また一触即発の時期でした。
というのは、当時のイスラム政権たるアッバース朝政府の役人たちは、そのような子供が生まれたら殺害するよう命令されていたからです。しかし、イマーム・マハディは神の好意と恩恵を受けてこの世に生を受け、父親の殉教後はお隠れの身となりました。マフディは神のご意思により将来再び現れることになっています。その時期は神だけが知っており、その時には多神教徒や圧政、暴虐の全てがこの世から消え去ることになっています。
イマーム・ハサン・アスキャリーは、高潔な思想家を育成しました。その門下生らはそれぞれ、イスラム諸科学の分野で著作を残し、イスラムの知識の成長と向上に向けて有益な活動に携わっています。最終的にこの偉人は、イスラム暦ラビーオルアッワル月8日に毒殺され殉教しました。