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オスマン帝国によるアルメニア人虐殺とは?
4月 24, 2022 18:43 Asia/Tokyo
4月24日は、1915年に起きたオスマン帝国によるアルメニア人虐殺から107年が経つ日です。
第一次大戦中の1915年、当時のオスマン帝国はアルメニア人虐殺計画を実施し、帝国軍は国内6州に住んでいたアルメニア人をその住居から追放し、現在のシリアのデリゾール一帯へ強制移住させました。
何日にも及んだ強制移住で、数十万人単位のアルメニア人がのどの渇きや飢えにより命を落としました。
アルメニア人らは、第一次大戦中にオスマン帝国が虐殺したアルメニア人は合わせて150万人におよぶと主張しています。これに対しトルコ政府は、犠牲者の数は30万~35万人であるとし、アルメニア人側も同等数のオスマン兵を殺害したと主張しています。
アルメニアはトルコに対し公式謝罪と賠償金の支払いを求めています。
しかし、トルコのエルドアン政権は、双方の歴史史料を再度調べ、両国の学者からなる共同チームが中立な団体の監視のもと、この問題の真実を解明していくことを提案しています。
アルメニアの人々は、毎年4月24日を民族虐殺のつらい記憶をとどめる祈念日としています。
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