11月 26, 2022 17:43 Asia/Tokyo
  • 発掘作業で得られた遺物
    発掘作業で得られた遺物

英ロンドン考古学博物館の学者らが、発掘作業で得られた遺物などから「わが国での奴隷制の歴史は、ローマ時代に始まっていた」としました。

IRIB通信によりますと、ロンドン博物館の考古学者らの話では、イギリス中部で発見された、20代~30代と見られる男性の人骨には、鉄製の足かせや手かせがはめられていたということです。

この男性の骨は、穴に落とされて殺されたもので、ローマ時代のイギリスの奴隷制に関する最初の証拠品とも言えるものです。

この人骨は英イングランド中部・東ミッドランズ地域にあるラトランド州での建設作業中に発見され、骨の炭素分析の結果、西暦226年から同427年のものであることが判明しました。

当時、イギリスはローマ人に支配されていました。

18世紀の英国は、特に西アフリカからの自由民を奴隷として連れ出し、アメリカやヨーロッパに移送することで、世界で最も重要な奴隷貿易国でした。

英国立公文書館の資料によりますと、1640年から1807年の間に、300万人以上の奴隷が英国人によってアフリカから連れ出され、そのうちの多くが長い航海途中で死亡し、約270万人の奴隷が目的地で売却されたとされています。

奴隷貿易許可証は英国の法律に従い英王室によって発行されていました。その代表例が、西アフリカの奴隷貿易を独占した特許会社・王立アフリカ会社の設立許可で、これにより英国はアメリカ大陸への最大の奴隷輸出国となりました。

しかし1807年、英国では奴隷の売買が禁止され、1833年には奴隷制は違法と宣言されました。

2013年には、英オックスフォード大学のMCRミドルコモンルーム委員会の卒業生が、英国の植民地時代の歴史を思い起こさせるとして英国女王の肖像画の撤去に賛成票を投じました。

また英西部の港湾都市ブリストルでは昨年、この街の広場にある、同市出身の奴隷貿易商人エドワード・コルストンの像が川に投げ落とされました。

さらに、英国の反人種差別運動は、同国の78人の奴隷貿易商や奴隷制度の支持者の彫像を撤去する必要があると発表しています。

 


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