仏紙ル・フィガロで「イスラム教徒絡み」が強調:ニュースの選択か、それともメディアの偏向か?
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仏紙ル・フィガロに掲載されたイブラヒム・Bの顔写真
仏首都パリへのテロ攻撃に関する報道で加害者に「イスラム教徒」というレッテルが張られていることから、暴力の表現における西側メディアの偏向と二重基準についての疑問が浮上しています。
フランスの新聞「ル・フィガロ」が最近報じたパリ凱旋門付近での刃物襲撃事件に関する報道からは、「イスラム教徒」という容疑者の人定事項を強調しての、一部の西側メディアによる事件の捏造ぶりが改めて浮き彫りになっています。この経緯は、宗教的アイデンティティと暴力の隠蔽というダブルスタンダードについて深刻な疑問を提起しています。この事件に関する報道では「イブラヒム・B」という容疑者が特定されています。彼は以前、ベルギーで警察官2人を襲撃した罪で有罪判決を受けており、フランス治安当局の監視下にも置かれていました。しかし、司法上の詳細よりも強調されているのは、見出しとニュース本文において「イスラム教徒の」という形容詞が繰り返されていることです。
このようなレッテル張り的な表現が使用されていることは、メディアが完全な分析の前にイデオロギー的な枠組みを大衆に向けて描き出していることを示唆しています。このような強調は、特定の宗教や集団と暴力を結びつけるステレオタイプを強化しかねません。対照的に、同様のケースでは、暴力の加害者が他の宗教や集団に属している場合、その宗教的アイデンティティは通常強調されず、個人の特徴、心理、または個人的な状況に焦点が当てられます。例えば、ユダヤ教徒やキリスト教徒が犯罪を犯した場合、「ユダヤ教」や「キリスト教」を強調した見出しはほとんど見られないのが現状です。
こうしたアプローチの違いは、ル・フィガロ紙のようなメディアが、意識的か無意識的のいかんを問わず、イスラム教を安全保障の文脈で描写しているのではないかという疑問を提起させるものです。こうしたアプローチは世論に影響を与え、イスラム教徒への不信感を強める可能性があります。
総括として、メディアは自らの責任として、正確な報道とステレオタイプの再生産を区別する必要があります。その理由は、宗教的アイデンティティを過度に強調することが、メディアの中立性の原則を損なう可能性があることによります。

