西側の思想家が考える預言者ムハンマド(18)
アメリカの作家で、歴史家でもあるウィル・デュラントは、『文明史』という著作において、安らぎや平穏、国民の団結、モラル、そして相対的な幸福を実現する上での、イスラムの預言者の役割について語っており、またこれを複数の文明の発祥や発展の効果的な要因であるとしています。
ウィル・デュラントは、次のように述べています。「文明の発祥が可能となるのは、騒乱や情勢不安が収束している時である。なぜなら、人間に好奇心が生まれ、何かを発明するニーズが生じるのは、恐怖感が解消された時だからだ。このときには、人間がごく自然的な形で学識や英知を獲得し、生活状況の改善に傾倒する条件が生まれる。預言者ムハンマドは、こうした成長発展の下地を生み出した人物であった。この偉人は、乾燥した砂漠の灼熱の中で暗澹たる状態に陥っていた、民族のモラルや見識のレベルを最高の水準に到達させようとしていた。彼は、この点において成功し、この成功は世界のそのほかの全ての改革者を上回るものだった。預言者ムハンマド以外、宗教の道における自らの全ての願望を達成できた人物は極めて少ない。彼は、砂漠に散らばり偶像を崇拝していた民族から、ユダヤ教徒やキリスト教徒、そして古代のアラビア半島に広まっていた宗教の信者たちよりもすぐれた共同体を打ち立てた。即ち、彼は力強い単純明快な宗教的慣行を生み出したのである。そのため、1世紀もたたないうちに広大な領域を支配する一大帝国を形成した。預言者ムハンマドの宗教は、我々の生きる時代における重要な力であり、今や世界の半分に勢力を及ぼしている。このため、民衆に対するこの偉人の影響力の度合いを測るなら、彼こそは人類史上最大の偉人だったと言わねばならない」
ウィル・デュラントはさらに、『文明史』において、イスラムの預言者の教えのもとで数々の学問が急速に発展したことについて触れ、次のように述べています。
「イスラム文明は、西暦700年から1200年の間に、様々な科学や技術の発展において全盛時代を迎えていた。医学や化学、物理学、地学、生物学、植物学といった数多くの学問が隆盛を極めており、これらの科学における最も偉大な学者や発明家が、広大なイスラム世界において研究・教育活動や書物の編纂に従事していた。彼らは、近隣諸国の人々、さらには世界各地から知識を求めてやってくる人々に、これらの幅広い基礎科学を教育していたのである。イスラムがこうした輝かしい時代を迎えていた一方、西側世界は中世の暗黒時代にあり、この時代のキリスト教会による思想には、科学的な知識や技術などかけらもなかった。逆に、イスラム世界では、イブン・スィーナーやハーーラズミー、ファーラービー、ザカリヤ・ラーズィー、アブーレイハーン・ビールーニー、オマル・ハイヤーム、イブン・ハルドゥーンといった類まれな科学者が、何の制限も受けることなく、世界への学問の普及にいそしんでいたのである」