犠牲祭:心と社会を浄化する機会、依存からの解放の象徴
(last modified Sat, 07 Jun 2025 06:09:37 GMT )
6月 07, 2025 15:09 Asia/Tokyo
  • 犠牲祭:心と社会を浄化する機会、依存からの解放の象徴
    犠牲祭:心と社会を浄化する機会、依存からの解放の象徴

イスラムの伝承・ハディース学分野の研究者の間では、イスラムの主要な祝祭の1つ・犠牲祭(アラビア語でイード・アル=アドハー、ペルシャ語でエイデ・ゴルバーン)に際してシーア派8代目イマーム・レザーが出したメッセージは、犠牲祭が人間社会の倫理・社会的再構築を求める呼びかけだとされています。

【ParsTodayイラン】イランの大学で教鞭をとるハディース研究者、ジャヴァード・アフシャーリー教授は、イマーム・レザーの教えにおける犠牲祭の倫理・社会的側面について言及し、次のように語っています。

イマーム・レザーの言葉によれば、犠牲祭は浄化の日である。イマーム・レザーは「犠牲祭は、浄化、許し、そして与える日であるとともに、憎しみ、嫉妬、敵意から心を浄化し、許し・解放と寛容を通して社会を共感と団結へと導くべき日だ」としている。

イマーム・レザーも、自らこの教えを実践した。彼は犠牲祭の日に最高の服を着て人々と明るく接し、生贄として犠牲にした家畜の肉の大部分を貧民や孤児に捧げたと伝えられている。彼はこのことについて「この日の施しは他のどの日の施しにも勝る」としている。

現代社会が倫理的問題や社会の分断に直面しているならば、犠牲祭の日に関するイマーム・レザーの教えに立ち返ることが解決策となりうる。犠牲祭は人間関係を再構築し、怨念を消し去り、許しと自己献身を訓練する日である。

 

犠牲:依存からの解放の象徴

イスラム史を専門とするマフブーベ・サッファーリー教授も、イマーム・レザーの視点から歴史的アプローチを用いて犠牲の哲学について論じ、次のように述べています。

犠牲祭は、人類にとって最大の試練、すなわち預言者イブラーヒームが見事に乗り越え、神の命令において息子を犠牲に捧げる準備をした試練を想起させるものである。この出来事を語り継ぐことで、イマーム・レザーは人間が物質的および感情的な依存から解放されることを強調している。

史料や伝承資料によれば、イマーム・レザーは「犠牲」という行為を、神の僕となること、および神の意志への絶対的な服従の実践とみなしていた。また、人間の幸福や完全の極致に至ることへの最大の障害は世俗的な執着であると信じていた。犠牲祭はこうした執着を断ち切り、人間の信仰心と清浄さの度合いを試す機会である。

イマーム・レザーは伝承の中で「犠牲を捧げることはあなた方に課せられている。なぜなら、それは預言者イブラーヒームとイスラムの預言者の伝統・慣習であり、神への服従のしるしだからである」と述べている。イマームのこの発言は、犠牲祭の哲学が単なる動物の屠殺に限定されるのではなく、自己献身・犠牲の準備、服従、そして誠実さにあることを示している。

イマーム・レザーは、犠牲祭と心の浄化との関連性を特に強調していた。彼は、ムスリムはあらゆる犠牲を払う際に、世俗的な執着や利己心の一部をも犠牲にし、神の光を受け入れる心の準備をしなければならないと述べている。

預言者一門らの生涯において、犠牲祭は常に実践的かつ社会的な精神性を信者らに教える機会であった。イマーム・レザーは弟子たちに対し、この日に自分自身だけでなく他者のためにも祈り、神のすべての僕たちへの神の恵みと祝福を祈るよう勧めた。

犠牲祭において、イマーム・レザーは信者に対し、困窮者を助け、孤児を支援し、精神的に傷ついた人々を慰める活動に積極的に参加するよう呼びかけるとともに、社会問題や人道問題に注意を払わない犠牲行為は無意味で影響力もないと強調した。

今日の社会が、イマーム・レザーの観点から犠牲祭の多層的なメッセージを復活させることができれば、多くの倫理的危機、極端な個人主義、社会的分裂が解決され、精神性と共感がそれらにとって代わることを期待できる。

 


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