イランのジャーナリスト殉教者、セイエドモルテザー・アーヴィーニーの生涯
31年前の4月9日、イランのドキュメンタリー作家、写真家、ジャーナリスト、作家、さらには「イスラム的映画」の提唱者であったセイエドモルテザー・アーヴィーニー(1947〜1993)が殉教しました。ここではその生涯を振り返ります。
アーヴィーニーは1947年9月23日、テヘラン南部のシャフレ・レイで生まれました。高校卒業後はテヘラン大学芸術学部に入学しました。
1979年にイスラム革命が勝利すると、アーヴィーニーは革命運動に貢献するため映画制作に転向します。1984年には自身もイラン・イラク戦争の前線に赴きながら、出版活動や映画制作に取り組み始めました。
彼はこの頃、世界の映画、芸術、文化潮流について考察し、芸術誌などに多数の論考を寄稿しました。そして1993年4月9日、ドキュメンタリー番組の撮影のためイラン南部フーゼスターン州のファッケを訪れていたところ、イラン・イラク戦争中に残されていた地雷の爆発に遭遇し、殉教しました。
アーヴィーニーは、哲学、芸術、映画など様々な分野の作品を批判的観点から論評し、以下の3つの著名な本にまとめました。
・『血の勝利』(イスラムの預言者ムハンマドの孫でシーア派第3代目のイマーム・フサインの生涯について)
・『西洋文明の発展と基盤』
・『魔術の鏡』(メディア批評)
ここでは、これらの著作から西洋文明の批評を扱った箇所を読んでいきます。
アーヴィーニーの思想における芸術
芸術の言葉
アーヴィーニーは芸術を語る言葉について、次のように述べています。
「芸術家は秘めたものを持っている。その言葉は寓話的である。したがって芸術家は、真実の発現とその様態を知っていなければならない。それは必ずしも自覚的に知るものではなく、その魂に真実が降りてくるようなものである」
芸術、思考、神秘
アーヴィーニーは芸術と神秘主義の関係について、次のように述べています。
「芸術とは、その内容から思考や神秘主義そのものである。その表現方法が異なるだけで、芸術の根本は愛と神秘である」
芸術家
「芸術家とは真実の求道者であるだけでなく、その表現力も神から授かった者のことをいう」
西洋芸術
「西洋芸術とは欲求の表現であり、真実の求道ではない。西洋芸術は今日の人間の自我を表現するものである」「西洋文明はこの世の天国を追い求めるものである。西洋文明の歴史は、それを追い求めた過程だった」
アーヴィーニーから見た西洋
アーヴィーニーの視点を振り返ると、彼がイスラムについて正確な認識を持ち、長年にわたってこの分野を研究してきたことが分かります。そのことは彼の成熟した筆致からも見て取れます。彼は哲学や神秘主義思想にも精通していたほか、イスラムとその他の信仰・思想を比較することにも取り組みました。そして、西洋思想にも触れ、その弱点と西洋文明の流入がもたらす弊害についても語っていました。
世界の覇権主義勢力拡大の要因
アーヴィーニーは、世界の覇権主義勢力が拡大する要因について次のように記しています。
「アメリカの覇権拡大を助けたのには主に3つの要素がある。最大の要素は現代テクノロジーだ。2つ目に、人間が表面的なことに囚われる存在であるがゆえ、自分の自由意志をアメリカの覇権に依存させてしまうことがある。第3の点は2点目に関わることだが、恐れ、とくに死への恐怖である。弱い人間はアメリカの力を恐れる。しかし、イマーム・ホメイニー師のような自立した人間は、恐怖を克服し、『アメリカは過ちを犯すことはできない』などと堂々と言うことができるのである」
イスラム革命と西側秩序
アーヴィーニーは世界秩序の本質について次のように記しています。
「この世界的覇権主義体制は、経済的にはウォール街を拠点とする金融システムにより世界の経済をコントロールし、米ドルを基軸通貨としている。政治的にもこの覇権主義体制はアメリカによる支配と一致している。そして、人間の欲求を刺激することで彼らを巧みに騙していくのである」
そして、アーヴィーニーはイランのイスラム革命について、「イスラム革命は歴史的な人間の蜂起である。数世紀にわたって続いた退廃の後の歴史的な懺悔である。したがって、その目的は経済的、社会的、政治的なものではない。これは文化的革命である。この革命は思想に端を発し、理性ではなく、神からのメッセージによるものである」と語っています。